インタビュー「ヌーヴォ・ロマンに味方するか?」J.M.G.ル・クレジオ ~ 聞き手 望月芳郎 雑誌 『文芸』 1967年6月号 河出書房新社


☆ ル・クレジオ氏

望月芳郎 「ところで、貴方は学士論文として アンリ・ミショーについて御書きになりましたね。」

ル・クレジオ 「いや、高等試験の論文という程のものでなく、ミショーについて、ある問題を百二十ページの分量の小さな本にしただけです。」

望月 「それは発表なさいましたか。」

☆ ル・クレジオ 「いいえ、日本も同じだと思いますけれども、フランスでは、大学に提出する全ての論文は発表が禁止されています。
それに、あの論文は引用文や註が多くて、一般の人々には読みづらいと思います。
しかし私は、部分的に抜萃したエッセーを『ラルク』という雑誌に発表しました。」

望月 「ミショーのあと、貴方は今、ロートレアモンの論文を準備しているそうですね。」

☆ ル・クレジオ 「ええ、それは私の主要な論文となるでしょう。
フランスでは学士試験、いや大学教授資格取得試験(アグレガシオン)をパスした後でも、十年ぐらい費やして、千ページから千六百ページぐらいの本を書かなければなりません。それは大学に生きようとする人にとっても同じ事です。
書きたいと思うけれども、今はとても時間がありません。」

望月 「他に興味をお持ちの詩人はいませんか?」

☆ ル・クレジオ 「それはいます。しかしロートレアモンは、私の見るところ、いわゆる詩人というのでは無く、最初の書物を書こうとした青年で、詩もいわゆる詩というものでは無かった。
最初の本は、死ぬ一年前に出版されましたが、彼は成熟した詩人では無く、学生のエッセーみたいな、非常に若々しさに満ちた作品だったのです。私が惹かれるのはそこです。」

望月 「例えばランボーなんかと比較して、どう思いますか?」

☆ ル・クレジオ 「ランボーも面白い。しかし彼は読んだものを、すべて書いたので、彼の詩は逆説的な体系をなしています。
後で彼は姿を消したが …… 。
私は、ランボーよりロートレアモンに惹かれるのは、ロートレアモンが本当の意味で作家では無いからです。
ランボーは作家です。
ある成熟に到着した作家で、その後、沈黙し、詩作をやめることを余儀無くされた詩人です。
ところがロートレアモンは書き始めたばかりのところで、死がそれを断った。そこが違います。そのうえ彼は気違いみたいになった。
そういうところが面白いと思います。
実のところ、私はロートレアモンについての論文の計画を立て、読書を始めました。多くの雑誌や新聞、またその問題に関する、あらゆる論文を読まなければならないのです。
実際、研究を始めましたが、時間がかかるし …… まだ終わっていません。
今は兵役で研究が中断されているわけで、(論文の)原稿は1ぺージも書いていません。

望月 「ロートレアモンの(書いた)原稿がまだ何処かにあるのですか。」

☆ ル・クレジオ 「ありません。みな紛失してしまいました。
そのうえ、ロートレアモンが何処に埋葬されたかも分かりません。
1870年の普仏戦争の間に彼は死に、とある共同墓地に葬られました。共同墓地に埋葬される死体はみな、医学アカデミーに廻されたのだが、その後、どうなったのか、分からないのです。
たぶん死んだとき彼は原稿を持っていたのでしょうが、みな無くなってしまいました。
謎めいた話ですけれど、それが彼の運命なのでしょうね。」

望月 「ロートレアモンとの出会いは?」

☆ ル・クレジオ 「ミショーによってです。ミショーは、彼にとってロートレアモンこそ唯一の詩人だといっています。
私はそれまでロートレアモンを知りませんでした。
そこでロートレアモンとは如何なる詩人か研究し始めました。
彼はフランスで数少ない傑出した詩人です。
非常に自由に、極端な程リリックに詩を書き …… いうまでも無く、シュールレアリスムの詩人たちが霊感を受けた詩人で、フランス文学のなかで最も重要な、非常に近代的なものを有する詩人です。」




(記) 望月芳郎

ル・クレジオはフランス、イギリスの二つの国籍を持ち、イギリスでは志願兵制度だから問題無いが、フランスの義務兵役に該当する任務として、バンコック大学で教師の職についている。

フランスでは兵役に就くべき青年のうち、学士(リサンシエ)、大学教授資格取得者(アグレジェ)に対して、未開発国への協力の国策に従って、海外に教師として赴くことにより、兵役免除の恩恵が得られる。

アンリ・ミショー論で学士となった彼は、バンコックで既に半年教え、学年休暇を利用し、近作の処女評論集『物質的恍惚』出版パーティーに出席するための帰国途中、日本に立ち寄ったものである。

六月には再びバンコックに戻り、もう一年間、勤務しなければならぬそうである。


望月芳郎 氏