「現代ラテン・アメリカ短編選集」編者 桑名一博 白水社 1972

老人「分かりました、貴方は確固とした信念をお持ちですね、たいしたものですな。
では早速、旅館に今晩の宿をとり、翌日やって来た最初の列車に乗りなさい。
ただ言っておきますが、その時は他人の隙に乗じるようにしないといけませんね。
と言いますのも、列車が到着すると直ぐに、痺れを切らした旅行者達が、騒然と宿屋から飛び出して駅へと侵入するのです。
それはもう、信じられない程に礼儀と思慮を欠いており、事故が起きる事さえあるのですよ。
旅行者達は順序良く乗り込むかわりに、お互いがお互いを乗らせまいとして、何時迄も邪魔し合うのが常でして、列車はそんな彼らを置き去りにしたままに行ってしまうのですよ。
残された旅行者達は、なおのこと一層に、他人が礼儀を欠いていることを、口汚く罵り合ったり殴り合ったりして… そんな事が何時迄も続くのです。」

よそ者「警察は仲に入らないのですか?」

老人「まあ、各々の駅に派出所を置こうと試みた事はありますがね。
でも、列車が何時到着するのかも分からない中で、無駄な費用はかけられませんから。
その上、派出所の警官たちは、乗客の身を守る対価として、ありとあらゆるものを与えてくれる、金持ちの旅行者だけに奉仕するようになって、お金に左右されている事が暴露されてしまう始末なのです。
また別の解決策として、これから先に旅行を計画している者に向けて、礼儀作法の講義と訓練とを提供出来る専門学校が作られたのです。
その学校では、列車の速度に応じた乗り込み方を、秘伝として教えてくれたり、また乗車時の混雑で骨折することの無い様、防護の為の鎧の一種が支給されたりと、なかなか評判が良いようですよ。」

よそ者「列車に乗り込んでしまえば、その後は楽が出来るのでしょうね?」

老人「まあ、比較的に楽は出来るでしょうな。
それでも到着した駅には、よくよく注意した方が良いでしょう。
貴方が言うTに着いたと思った時には、これは錯覚ではないかと疑ってみるべきなのですよ。
と申しますのも、国鉄には、超満員の乗客全ての面倒を見る余裕などあるはずも無く、そのため、凡ゆる人減らしの策を講じてくる訳なのです。
実際には密林のど真ん中に作られた駅なのに、何処かの重要な都市の名前が付けられているといった、そのような見せ掛けだけの駅には、まるで舞台装置の様に人の姿が見受けられるのですが、それらは、大鋸屑(おがくず)が詰まった人形に過ぎないのです。
風雨に晒されて、ほころびを見せている大半の人形は、ほんの少し注意すれば、簡単に見破ることができますが、そんな中にも現実の姿を生き写したかの様な人形も見受けられます。
その表情には、測り知れない程の疲労の跡を浮かべているという訳なのです。」

よそ者「でも、幸いなことに、Tはここからは、そんなに遠くないのです。」

老人「しかし、今のところはTへの直通列車はありません。
でも、貴方がお望みのように、明日中にTへと到着する可能性も無きにしも非ず、欠陥だらけの国鉄ですが、乗り換え無しの旅行が出来ない訳ではありませんよ。
いいですか、何ら問題無く、目的地へと到着した旅行者だっているのです。
つまり、T行きの切符を買い、やって来た列車に乗り込むと、翌日には車掌が、
『列車はTに到着致します』と車内放送している訳です。
そして旅行者が何の疑いも無く、着いた駅のホームに降り立てば、そこが確かに実際のTであると言う事なのですよ。」

よそ者「一体どうすれば私もTに着けるのでしょうね?」

老人「方法はありますよ、でも、それが本当に役に立つのかは、誰にも分からないのです。ですが、兎に角やってみるしかないでしょうな。
つまり、貴方はTに着くのだという確固たる信念を持って、列車に乗り込むことです。
その際には、同乗客の誰とも付き合ってはいけませんよ。
連中は貴方を幻滅させる様な話をして来るかも知れませんし、もしかすると、貴方を当局に告発する事だってやりかねませんからね。」

よそ者「良く分からない、一体どういうことでしょうか?」

老人「つまり、列車にはスパイが一杯乗っているのですよ。
彼らの大半は自発的なスパイなので、生涯をかけて国鉄の建設精神を、自己の内に涵養している訳なのです。
人間というものは時々、自分が何を言っているのかも分からないまま、ただ話すためにのみ話すということがあるものです。
こんな時、彼らスパイは、ふと漏らされた一つの単純な言葉から、凡ゆる意味を即座に頭に思い浮かべることから始めて、発言者の無邪気な批評からでも、罪になるような考えを引き出す事も出来るのですよ。
ですから、貴方がほんの少しでも、不注意な物言いをすれば、それだけで逮捕される事もあり得るでしょうな。
つまり、貴方は残りの人生をずっと、この牢獄の様な列車で過ごす事になるか、それとも、密林の真ん中にある偽物の駅に強制的に下ろされるか、どちらかになるということです。
だからこそ、自分がTに着くのだと信じ切って旅行し、その上、出来得る限り食事を切り詰めて、Tで誰か知った顔を見るまでは、決してホームには降りないようにすることです。
まあ、とにかく、やってみることですな。」

よそ者「それが… 実は、Tには知っている人が一人もいないのです。」


横尾忠則 / ” T ” 1980
Acrylic on canvas,33.3×24.4 cm.