Wakeのブログ -37ページ目

苦しみと成長の関連性

自分が成長したと思う過去の出来事には、二種類あった。



「自分にとって成長したい」という思いから「もっと⭕⭕したい」と自ら成長を願っていたこと。



嫌々でも「⭕⭕しなければならない」と必要に迫られて対応していたら結果的に成長していたこと。




今の職場に前から働いている人達は後者ばかりだけど、能力としては優れているように思えた。




丁寧な教育が無いので
⇒ 自分で考えていく能力が鍛えられている。

上司達が無責任であった為に
⇒ 責任感が鍛えられている。

スケジュールが無茶苦茶だったので
⇒ 時間が厳しくてもミス無く間に合わせる。
⇒ 短時間でこなす為のテクニックが鍛えられている。



と非常に成長している。



自分が丁寧に教育するよりも、遥かに優れている。




ただし、成長の糧は苦い思い出からきた恐怖心だ。




成長から能力は優れていても、自分が今の職場に来た時には、皆の顔に笑顔は無かった。



人生の目的とは「成長」なのか?「幸福」なのか?

「気」という存在

古神道のワークにおける文書の中で、「穢れ」という言葉が「気枯れ」と書かれていた。




イザナギノオオカミが黄泉から戻った時の「清め」た時には「気良め」という言葉になる。




「気付き」には、「気」が「付く」ことによって得られるのかもしれない。




ならば「気」の持つ意味は本当に大切な事かもしれない。

仮面ならば

人生に疲れて無気力な時に、バンプオブチキンのギルドという曲を聞いて思ったのが、「もし人間である事が仕事ならば?」という疑問がわいた。





であれば、誰もが生活の中で無意識に仮面(ペルソナ)をつけているが、人間というペルソナを外せたら、人間という仕事を休む事ができるのでは?

と思った。




瞑想の中で、今の年齢、性別・・・と少しずつ自分の型を外そうとした。



結果的には、途中で頭の中が疲労に耐えられなかったのか、全くわからない夢に繋がっていて、意識が戻ったら直ぐに強烈な眠気で眠ってしまった。




人生は仕事では無い。

だから忘れるように人間の仮面?は外せなかったのだろうか?



とりあえず、今は自分のイメージしたキャラの仮面を色々と試してつけて、演じる事を楽しんでみる。



でも、本当に全ての型を外せた時には、何が残っていたのだろうか?