Wakeのブログ -20ページ目

現代社会で人を判断しているのは

幼少期の癒されない思いを振り返ると、今に至るまでに自分に対する評価に大きな影響を与えているのが、学生時代の「成績」に随分と振り回されていたように思える。



成績が上位か下位かで先生や親のリアクションが全然違う。


そうした評価で次第に子供達の中で、成績だけで人を判断するようになり、親や先生と同じように人に上と下を当たり前のようにしてしまう。


本当は、素晴らしいトコロがあっても教育現場の教科の成績で「出来る子供」と「出来ない子供」と判断されている。

頑張れば出来る・・・本当に?


努力しないからだ!
勉強しないからだ!


と言われて、疑う間もなく、自分を責めてしまう。


そりぁグレるよ。

テストや通信簿を親に出したら、裁かれてしまう事に恐怖を感じるよ。



親や教師でも真理を知らないという事を疑わなければ、自分を責めて分離を繰り返して、本当の素晴らしい自分から遠ざかってしまう。


その成績とやらは、本当に人を判断するに足るほどのプロセスが全て含まれているのか?


会社でも成績があると、裁かれる事を恐れて成績に追われて愛の無い行為を選択してしまう。


本当はそんな事をしたくないのに。



少なからず、私は誰かが決めた「正しい」という事に対して、裁かれる為に生まれてきたりしない。



そして、「お金持ちになる為に生まれてきました」なんて思う事は、この先も無いだろう。

自分が好き

自分の事しか考えない人の暴言にイライラしていた。


でも、そのイライラを吐き出すと、暴言の本質が解ってきた。


その人が長々と偉そうに何を語っても「私は自分が好きだから貴方は◯◯してくれればいい。自分が大好きな私には、◯◯は面倒だから◯◯したくない」としか聞こえない。


人は皆が「自分が好き」


ただ、それだけ。


その人のセリフを聞く度に、笑ってしまう。


だって、自分が好きだって、ひたすら偉そうな態度で、格好をつけて大声で訴えている。


今は俺も自分が好き。


自利も良いけど利他もね。

ルールというのは支配では?

法律やルールに違反する事で、罪が生じて、罰や責任が生じる。


元々はヤクザのような戦国時代の武将達が、親睦による統一では無く、シマを奪う会うように部下達の命を犠牲にして支配欲のままに奪いあって国ができた。

なかには共同体として、侵略・支配される事に対して防衛目的で戦った武将もいるのでしょうけど、統一を果たしたのは・・・


その土地を守るという事に対して、その土地で生きる為の金品を差し出すのが、今も一緒なんじゃないかな?


ルールは互いの関係を良好に保つ事と思っていたけど、互いの関係では無く力が強い者から見た「(都合の)良い」関係では無いかな?


NHKの受信料って、視聴者が皆納得してる?

税金も納得してる?


年金問題は貰えなくてもいいかな?


家庭内のルールは、親が決めていない?

子供が決めていないのはウチだけ?


互いに解りあう努力も大事だけど、今のルールに対して見つめ直す必要もありそうだ。


今は過去の自分を受け入れるなかで、師匠からは人に迷惑かけない八つ当たりはオッケーと言われた。


何より自分へのルールを一番大切に。

◯◯したら◯◯が悲しむから・・・◯◯したらいけない。

◯◯を使うと◯◯に迷惑かける・・・◯◯したらいけない。


本当なのかな?
その法則は。


貴方が我慢する事で傷つく人は、本当に居ないと言い切れますか?