TS-1服用2クール28日目最終日。今日は天気いいけど眠気がキツかった。けどこれでしばらくは休薬になると思うとちょっと安心します。


中国歴史探訪は昨日の続きで漢中の三国志の話になります。


蜀の劉備が亡くなったあと、息子の劉禅が跡を継ぎますが、蜀は諸葛亮が丞相として政治軍事の全てを取り仕切ります。そして先帝の遺志を引き継ぎ、漢中を拠点に魏の長安を目指します。これを「北伐」と呼んでいます。

漢中から長安の道のりは断崖絶壁の桟道です。その桟道の一つである石門桟道(褒斜桟道)を訪れました。


この桟道は当時のままではなく復元です。だけど写真のように断崖絶壁に桟道を作って進軍したと思います。3世紀の頃によくこんな技術があったのかと感心します。


今はダムとなっていて、恐らく古の桟道は沈んでいると思います。


レプリカですが世界最古の人工トンネルだそうです。


観光用桟道ですが結構細いです。


桟道の入口はでは、これも中国観光地あるあるテーマパーク感たっぷりです。


三国志絵巻が道路に飾られてます。こちらは赤壁の戦いで曹操が敗走している場面です。


こちらは前回紹介した出師表の場面。諸葛亮が劉禅に北伐の意義を説いています。


石門桟道に全く関係のない漢の武帝のでかい像も...


面白看板その1 どうすればこんな日本語になるのだろう?


面白看板その2。爆笑🤣


諸葛亮の北伐は5回実施されましたが、気力と体力を消耗した諸葛亮は「五丈原の戦い」の途中で病で亡くなります。諸葛亮の遺言で蜀軍は撤退します。その時、蜀の首脳陣の内紛により有力武将の魏延が馬岱に討たれます。その場所が「虎頭橋」で漢中市内の中心部にあります。


普通のビルの1階にあります。


蜀書の魏延伝の文章もありました。


3回に渡って漢中の史跡を紹介してきました。この旅行は航空便、高鉄、ホテル、市内移動、観光地入場も全て自力で手配した旅行だったので、すごく思い出に残っています。慣れない中国語でバスの乗り場を聞いたり、乗車券を購入したりと、チャレンジングでしたけど達成感のある旅行でした。残念ながら帰りの飛行機内で発熱、帰宅して抗原検査したらコロナ陽性でした😱


今回も最後までお読み頂きありがとうございました🙇