TS-服用2クール27日目。今日は眠気がほぼ来なかった。良い天気と仕事に集中できたからと思います。2クールはあと1日なのですが、ここにきて身体の痒みが症状として出てきました。なんとか逃げ切りたいです。
中国歴史探訪7回目は昨日の漢中の続きです。三国志はとても有名ですね。劉備の蜀は漢中からさらに南西に降った成都が都で、漢中は成都と長安の中間に位置しており、魏の曹操と劉備との争奪戦が繰り広げられました。
漢中市内からバスで1時間ほどの勉県というところまで行きました。勉県には三国志関連の史跡がいくつかあります。定軍山もその一つです。
定軍山はまだ蜀樹立前の劉備軍と当時最大勢力の曹操軍が直接対決した場所です。
「定軍山の戦い」で曹操軍の有力武将であった夏侯淵が劉備軍に敗れて戦死します。定軍山で勝利した劉備はこの地で漢中王に即位します。
定軍山の隣に蜀の丞相で有名な諸葛亮孔明のお墓があります。本人の遺言で定軍山の麓に葬られました。
諸葛亮の死後は諸葛亮のことを「武候」と呼び、このお墓は「武候墓」と言います。
有名な「出師表」が書かれています。こちらは前出師表。前出師表は名文中の名文とされており「出師表を読んで涙を流さない人は不忠の人」と言われているほど、諸葛亮の蜀(特に既に亡くなっている劉備)に対する忠義に溢れた文章と言われています。
こちらは後出師表。
実際のお墓です。
魏を倒して漢王朝を復興させるという志半ばでこの世を去った諸葛亮の無念を感じて合掌しました。
ちなみに近くに蜀の将軍「馬超」のお墓もあります。
諸葛亮孔明のお墓から車で20分くらいの所に「陽平関」跡地があります。ここでは先程の「定軍山の戦い」の2年前に曹操軍が当時漢中を支配していた張魯を撃破した「陽平関の戦い」の跡地です。
この戦いで曹操軍は漢中を制圧したのですが、2年後「定軍山の戦い」で劉備軍に漢中を取られてしまいます。
この後漢中は蜀の長安を目指す「北伐」の拠点となります。「北伐」については次回紹介します。
漢中市内から勉県へのバスはこれです。いい雰囲気です♪
車内はこんな感じ。
漢中は盛りだくさんなので、次回に繰り越します。
今回も最後までお読み頂きありがとうございました🙇