春の雨 | ウェブログのろぐ

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落ち着つきはじめたころからのリニューアル中。メインは琵琶湖でのバス釣り。釣果のためになる情報や派手な釣果写真はあんまりないかも。他、琵琶湖以外の場所や海釣りの話などもできればいいなと。






3月28日(日)


外は雨。

春もそろそろという頃の雨はこの季節にはよくある話。雨は嵐ほどのものでなければ桜にあうものでもありえる。雨と桜。春のあたたかなやわらかな雨に桜の花。

今週、そろそろ桜も本格的に咲きはじめる。




お花見に行きたいけれど、部屋で過ごす。なるべく外出は控えるように、すごす。

来週ぐらいは、少し人里はなれたところでのんびり花見でもするのはどうだろう。良い気分転換になるのかどうか。

それから職探し。これがなかなかたいへんだ。

今日は日曜日、部屋で図書館で借りている本を読む、捗らない読書ではあるが、本来ならばこういう時こその読書、本は琵琶湖と地質や地層関連のもの。

来週以降、こういったものに影響をうけやすいタチではあるので、地層を眺めにいくというのもいいのかもしれない。

本によれば堅田丘陵という所があるらしい。チバニアンもみてみたい。ほか、近くにそんな場所があるのであれば。

層が作られるというのは、数万年や数十万、数百万年単位での出来事の話。その時々の環境をがらりとかえるような出来事というのはそうしたスパンで発生している、というのはそうだろう。

人間の一生の時間からすれば、ほぼほぼ何もおこらないようなスケールの違いと変化なのかもしれないようなこと。

地球に生命がうまれたのは、恐竜が絶滅したのは隕石が衝突したことがきっかけ云々、あるいは、地球が誕生したのは、太陽が誕生したのは、宇宙が誕生したのは、云々。

こうしたできごとは全部偶然の産物、確率の話。何億、何兆分かそれ以上の一の話。ありえないような回数のなか、それがおこるかもしれない確率がありまだそれは可能性としてしかないような状態。

やはりそのスケールで比べれば人の一生の時間というのは本当に些細なひとときのことなのかもしれないが。

少し浮世離れした話ではある。

そんな他愛もないようなことを、地層を眺めながらぼんやり考えるのも。どうだろう。

しかし、一方で人間でのことを考えてみても、例えば1人の人物が存在したことにより、人がおこした出来事により、それ以降の世の中がえらく変わってしまったということもあるにはある。

もし、その人が存在しなければ、それ以降の世界はどうなっていたのか、存在しなければ、別の人物がその役割を担っていたのかどうか。

いまであれば、人が作り出したなにがしか、というものでも。そうしたものが作り出されたことから、それ以降で世の中はずいぶんかわってしまった、ということもあるような。

自分としては、何かそうしたもの、そうした状態の、最前線にいるような感覚がありながら、そうしたものからおいてけぼりをくっている感覚もある。

いつかそのうち、その妙な遊離感が上手く解消されればと考えてはいるが。

来週の暖かな晴れの日に期待して。