5月20日(水)
150㎥/s 19cm
平均 17.5 最高 21.6 最低 14.0
※後日、大幅に書き換えたもの。内容がちょっと微妙なところがあるので、さらに書き換える可能性はある。
サイエンスフィクションはフィクションなのでSFと呼ばれる。
フィクションとは、おおよそ人が1人か複数で考えたものだというのは多分そうだ。
昔、何かの本を読んでいて誰かが書いていた(物書きの人だったか)ことを読みなるほどとおもったエピソードで、どこか都会の街中を歩いていると、数年前には半ばおとぎ話のように書いていた話が世界が、数年たらずでまさしく自分がいまその中にいるような感覚がして驚いた、というような話がある。
何か新しいものができる時、それはもともと作る人が頭で考えていたもので云々というのは、よくある話。
だからサイエンスフィクション、というのは、そういうことをとても上手にする達人とよばれるような人達が作ったものなので、とても時代が先取りされているようなことが多々あるというのは、なるほどと思う。
もちろん根本的にはエンターテイメント、というかそれを買う人が一定数以上いて成り立つものだ、というのはそうだとして。
今日もブログの更新をはじめようとすると発生する微妙な違和感の物理的なそれを、さてどうしようかと思いながらのブログの更新。
そうした違和感を機械的な補助でとこまで補えるのか、あるいは脳の機能に関して。
もちろんそれが本人の意思に反し、同時に本人に悪影響を及ぼすためにというのであれば、何か倫理的なものに反しているということはあるだろうが。
それでも、何かを補助するという目的で、さらには個人の問題というだけではなく、もっと広く範囲を広げた中でのそういう行為というのがどういった形で実現していくのか。
そこで例えば、社会全体なんていいはじめると、ならば人間1人の云々という話だけではなく、その人間1人を含んだ社会全体の中、その社会を構成する1人1人がどういった行動をとりその結果、全体にどんな変化がもたらされるのかという話にまでなる。
そんなことを考えていると、いくつかのSFが、主人公を中心とした一定の集団内のことだけではなく、その世界全てをフィクションの世界の中で成立させようとしているのもよくわかったり。
それは、めちゃくちゃ大変なことなんだろうけど。
あるいわ、作者と受け取る側とのやりとりの中で作られる世界というのも存在するのかも。
この例えでいえば「セカイ系」とか呼ばれるジャンルの特殊性もよくわかる(もちろん悪い意味ではない)。
いつか、完全な自律機械とでもいうものが誕生してそういう存在が独自に発展していくようなことがあれば、それはもう人間の脳のそとがわにあるような存在といえるのか。
無意識だとか、理解できる/できない、だとかそうしたものとは全く別の、そうしたもの。
発想そのものは古典的だけれども、SF映画を見たりなんかしていて、それからこの頃の出来事で、ふとそうしたことを考えたりする。