摂食障害専門オンラインカウンセラーnoaです。

 

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依存は手放して精神的自立の段階を進まれているクライアントと話している中で

 

あらためて深く腹落ちしたというか

 

 

わたしもまさに、それすごい思ってるのよーーーー!!!ってなったことを今日はお話しします。

 

 

 

①愛着の問題

 

②精神的自立の問題

 

 

 

 

まず、愛着の問題についてなんですが

 

 

 

哺乳類である限りは

 

乳幼児期の母親のスキンシップは愛着形成に欠かせません。

 

 

愛情と愛着は全く別の概念で

 

 

特定の養育者とのスキンシップでオキシトシンが出て安心する


が何度も繰り返されることで形成されるのが愛着。

 


お腹が空いて泣く赤ちゃんをお母さんが抱っこして授乳する→安心、空腹が満たされる、なんかが

 

よく例えとして言われてるかなと思う。

 

 

 

私に乳児期の記憶はありませんが、母代曰く


2歳差で4人いたし自営で来客も多かった

9人家族分の家事もあったから

忙しくて泣かせっぱなしのことが多かった

 

そもそも子どもとゆっくりなんてしてたら同居の義理親(自営なので常に在宅)

に怒られた

 

 

みたいなことを言っていたことがあり、なんとなく察し。

 

 


私は30代になって自分に愛着の問題があるのかも?と思ったときに


 

母親に自分から頑張ってハグをしにいったことがあります。

 

短絡的ではありますが愛着形成をやり直せばいいんじゃないか、と

 

楽になりたくて必死だったのでね。

 

 

 

寂しい寂しいと泣きわめくインナーチャイルドを癒すためなら、と勇気を出して

 

30代のわたしから60代の母代にハグしに行ってみたんですけど

 

 

 

大人になってからの親とのスキンシップは

 

なんか違う、いや大分違う、もわかりました。

 

(※この点後述します)

 

 

 

 

 

それから②の精神的自立の問題

 

わたし自身も精神的自立が進む中で強く思ったことですが

 

 

思春期に精神的に自立したかった(親にそういう関りをしてほしかった)ということ。

 

 

 

精神的に自立させてほしかった

 

誘導しない、失敗させる、自分で決めさせる、自分で決めた責任を取らせる、意思を尊重する

 

 

これが社会で生きていくために必要不可欠な力に繋がっていくから。

 

 

長女(繊細、神経質)を実際に育ててみて

 

困っているのを見てられなくて代わりに解決したい気持ち

 

先回りして守ってしまいたい気持ち

 

傷つかないように保護したい気持ちも痛いほどわかる立場になったんですが

 

 

繊細な子供なら尚更

 

レジリエンス(逆境を乗り越える力)を育ててあげられるのも親の関わり次第なんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

わたし自身も家庭を持ったり子供を持ったりしたことで

 

それまで依存で誤魔化してきた「自分の課題」と向き合うことを避けられなくなり

 

そこから試行錯誤してきたんですが

 

大人になってから精神的自立を目指す、は

 

思春期で自立する何倍も大変。

 

 

 

 

①愛着(抱きしめてほしい、安心感を与えてほしい)

 

②精神的自立(子離れしてほしい、親離れしたい)

 

矛盾しているようですが

 

 

 

子供の定型心理発達の順序としては「愛着が形成されると精神的自立がすすんでいく」なので

 

 

 

●愛着形成→精神的自立

 

=定型心理発達(ストレートコース)

 

 

 

●愛着形成不全→各種依存症→精神的自立

 

非定型心理発達(紆余曲折結果オーライコース)

 

 

 

愛着形成不全がある方が大人になってから精神的自立を目指すことは

 

物凄くしんどいことなんです。

 

愛着の代わりに各種依存にくっついて安心感を得てるから。

 

 

 

 

これが「依存を手放したら寂しくてどうしようもない」っていう感情の正体です。

 

 

 

それでも精神的自立がすすんで

 

寂しい気持ちを抱えながらも

 

パートナーやわが子、場合によってはペットに愛着を提供する側になって

 

自分も満たされていくことができますので

 

 

 

親との間の愛着の問題が解決していないから

 

精神的自立ができない、ではないです。

 

 

 

我が子が思春期に摂食障害になってしまった、ということは

 

この機会に精神的に自立してもらっちゃいましょう、のチャンスでもあると

 

わたしは思ってます。

 

 

 

 

実際に私も愛着の問題を解決しないと進めないんじゃないか、と思って

 

そんなわけで30代で母代にスキンシップを求めたわけですけど

 

 

むしろ気が付きました、大人になったわたしはもう

 

今の母親のぬくもりは求めていないし今やり直してもなにも満たされない、と。

 

 

子どもが本能的に求めるタイミングだからこそ満たされるわけで

 

大人になってから

頭で考えて理屈で実践してみても「???」にしかならないです。

 

 

そしてここが重要

 

 

 

 

そうなんですよ、愛着形成は幼児期までに完了するもの。

 

 

言葉での疎通ができるようになる4歳ごろまでに

 

愛着が形成されているか、形成不全の状態なのかはほとんど決まっています。

 

 

なので、自分が愛着形成不全なのかどうかは

 

どんなに思い出してエピソードを並べて証明しようとしても

 

 

人間が思い出そうとして思い出せる記憶は4歳以降のもの、と言われていて

 

乳児期の記憶は無意識の記憶なので思い出せませんから

 

 

答え合わせもできないんだよね。

 

 

母親に抱きしめてもらったり包み込まれるような安心感を与えられた記憶がない、の記憶は

 

もしかしたら無意識(乳幼児期の思い出せない記憶)に刷り込まれている記憶なのかもしれません。

 

 

 

いずれにしても赤ちゃんの時代には戻れないので

 

親との愛着の問題については「そうなのかもしれない」っていう自覚を持つ程度で

 

充分と思います。

 

 

今から先の自分の人生をどうしていくのかに

エネルギー使う方がベターかな、と思う。

 

 

 

 

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おわり