今日の朝日新聞、天声人語の記事に子どものころの給食の話が書いてあった。その筆者は、鶏肉の照り焼きの皮の部分が食べられなかったり、カレーの野菜が苦手で牛乳で飲み込んでいたというのだ。その当時は、給食を残すと先生に𠮟られ、居残りを命じられたという話であった。

 

 私が小学校に入った昭和38年頃は、牛乳では無くて脱脂粉乳で、あまり味もしないし、おいしくもなく、皆が飲んでいたので仕方なく飲んでいた記憶がある。その数年後、牛乳瓶に入った牛乳にかわったときは、ほっとした。その牛乳も水で薄めたような味で、今の牛乳のおいしさはなかった。

 

 牛乳瓶のふた(紙)と帽子のビニールに、子どもたちは皆、興味があった。ふたは、男子が集めて、メンコバトルをしていたし、帽子のピンクやブルーなどのビニールは、きれいで女子が集めていたように思う。久しく牛乳瓶を見てないので、今もあの状態で販売されていたら、買ってみたいと思う。あの頃の給食のメニューは、どんなものだったのだろうか。うっすらと覚えているのは、コッペパンは必須(かなり大きくて、食べられずに持ち帰ったこともあった)、クジラの竜田揚げ、ぜんざい(はりはり漬けが、コンビ)などかなぁーと思う。

 

 小学1年生か2年生かはっきりしないのだけど、隣の席の色白の小柄な男の子が、豚肉のあぶらみを食べられずに、いつも給食時間を過ぎても終わらず苦戦していたのを思い出す。ある日、彼の机の筆箱入れ(昔の机には筆箱を入れる場所があった)に、大量の豚肉が放り込まれていたのを目撃して、ゲッと思った。その後のことは、はっきり覚えてないけど、先生に見つかったのか、どうなったのかわからない。確かにあの頃の豚肉は、あぶらみがすごくて、苦手な子もいたのだ。

 

 その男の子は、いつの間にか転校して、消息はわからなくなった。もしかしたら、あなたの隣にいる人かもしれないですね、笑。昭和30年後半の給食は、そんな感じでしたよ。今は、給食の無理強い、居残りとかは、ないよね。そうであってほしいと願います。給食は、美味しく、豊かになったよね。

 

このところ、雨模様で、こんな曲が似合いますね。

秦基博 「言ノ葉」

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