79年前の今日、3月10日は、東京の下町を279機のB29爆撃機が襲い、30万発以上の焼夷弾が投下され、10万を超える人命が奪われた、東京大空襲の日であった。

 

 朝日新聞の天声人語の記事に胸が痛む。その当時9歳だった金田茉莉さんは、疎開先から上野駅に着き、焼け野原となった東京を見て、驚いたという。彼女の35歳の母も、14歳の姉も、7歳の妹も亡くなり、父も早くに亡くなっていなかったので、親族に預けられて育った。のちに、戦争孤児の代表を務め、昨年7月10日に88歳で亡くなったそうだ。そのように、今日の天声人語の記事に書かれていた。

 

 戦争は、たくさんの孤児をうんだ。どのような生活をしてきたのか、私たちの想像を絶するような悲惨な状態だったのだろうと思う。実は、東京大空襲の日のことで、私には、いつも思い出される事実がある。私の母の話である。

 

 母は、大正12年生まれ。10代後半に戦争がはじまり、九州の片田舎に暮らしていた母は、どうしても行きたかった東京の文化服装学院に入学して、洋裁を学んでいた。戦争が激しくなり、田舎の両親が心配していたところ、東京在住の知人の男性から「もうすぐ、東京で大空襲があるから、早く里に帰るように」と諭されて、急いで帰郷したというのだ。その数日後、本当に東京は焼け野原となった。もし、母が東京にそのままいたら、10万人の中の一人だったかもしれない。

 

 そして、母は、あの明治神宮外苑競技場で、雨の降りしきる中、学徒出陣を見送る女性の一人でもあった。父の戦争中のグアム島脱出の話や母の体験談が、のちになって、私が平和への願いを強く持つようになった要因である。なぜなら、父や母が戦争で亡くなっていたら、私はこの世に存在しないから。だから、あなたも私もこの世界で生きているのは、奇跡のようなことなのだ。そのことを知ってほしい。

 

世界の人口は、今、80億といわれている。私はいつも世界の人たちの幸せを願います。

こんな歌がありました、7年で10億人も増えたのかな。

秦基博 「70億のピース」

いつも読んでくださりありがとうございます。

あなたの幸せを祈ってます。