いつものように駅までの道を歩く。まだまだ暑いけど、日かげがあると、ときどき風が吹いて、秋の気配を感じる。ふと、土手を見ると、つるを伸ばした葛の葉っぱをみつけた。この葉っぱは、私が小学生の時、ウサギのエサとしてあげていた葉っぱである。小学校でウサギを飼育していて、学校のグランド横にいっぱい生えていた葛のつるをひっぱってとって、ウサギ小屋のウサギちゃんに食べさせていたことを思い出した。懐かしい。

 

 そういえば、我が家もウサギを飼っていた時期がある。ウサギを飼い始めたのは、高知に住み始めて間もないころだ。娘が小学校6年生、息子が小学校4年生で、夫の転勤でつくばから高知に移った頃だった。高知は自然に恵まれて、食べ物もおいしく、土佐の人々ものんびりしていて、暮らしやすいところだった。

 

 しかし、関東と四国の文化はかなり違いがあり、標準語を話す人はほとんどいない。土佐弁どっぷりの人たちのなかで、こどもたちはかなり、ストレスを感じていたと思う。そんな時、高知の帯屋町商店街の中にあったペットショップで、ウサギをみつけ、子どもたちが飼いたいと言い出したのだ。

 

 お店の人からミニウサギと言われていたので、小さいままかと思ったら、あっという間に20センチくらいの大きさになってしまった。色や雰囲気がピーターラビットに似ていたので名前はピーターと名づけた。ピーターは、子どもたちの心を癒し続けてくれた。

 

 高知で暮らした6年間は、思春期の子どもたちにとって、苦しく辛いことも沢山あったように思う。見知らぬ土地に慣れて、友だちを作り、進学を見据えて勉強や部活をしていく。よく荒れずに、耐えてくれたと思う。

 

 特に通った中学校は、桂浜の近くにあり、漁師さんや地元の人たちも多く、かなり、問題行動の多い子がいた。授業中、廊下を自転車で乗り回す子、金髪の子、授業妨害する子、喫煙する子。そんな子が何十人もいたのだ。

 

 そして、娘は超真面目で、正義感の強い子だったので、不良の子たちと敵対してしまった。私は、なるべく学校と関りをもって、PTA役員の仕事をして、子どもたちを守った。つくばの子たちのような、頭が良くて、上品で、何でもそつなくこなす子ばかりではない、これが、普通の社会なのだと、私も子どもたちも学んだ。

 

 そんな日々を、ピーターは、ずっと支えてくれた。そのしぐさや表情を見ているだけで和んだ。ピーターは、13年間生きて、子どもたちの成長をみて、安心したように逝った。今は、我が家の庭で眠っている。ピーター、ありがとう。感謝している。

 

高知のいるときによく聞いていた曲です。いろいろあったな…。

Every Little Thing 「Time goes by」

いつも読んでくださりありがとうございます。

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