『時代遅れの若者たち』<第5章> after all...
おれが煙草を吸うようになったのは麻希の影響だ。麻希、というのは澄田の下の名前だ。
なんとなく憂鬱な時になぜが煙草を吸うようになった。休日、街を歩いている時に一本。公園のベンチに腰をおろして一本。さまざまな思いが全身を駆けめぐり、白い煙となっておれの眼前に姿を現す。
あれでよかったのか、あれで……。朝起きて一本。トイレに行って一本。時が経過するにつれ一日に吸う煙草の本数が増えっていった。風呂に入って一本。寝る前に一本。
ハクからの連絡は途絶えていた。
ハクが停学になってから六日目、おれはハクの家に電話をかけた。
「はい、フジイでございます」
電話に出たのはハクのおふくろさんだった。
「あの、いや、ヒロシくんの同級のソヤと申しますが、ヒロシくんいますか」
「ああ、ヒロシのお友達。ヒロシ、今、北海道のおじいちゃんのところに行ってるのよ」
「そうなんですか⁉」
「そっちの電話番号教えるから、かけてあげてくれる。あの子悩みだすと止まらないのよ。きっと淋しくしてると思うから」
母としての心配が手に取るようにわかった。
あいつ、なに考えてんだ! そんな言葉がおれの全身を駆け抜けた。
「はい、わかりました。それでは失礼します」
おれはハクのいる北海道へ間髪入れずに電話をかけた。
「はい、フジイですが」
予想した通りのしゃがれ声がゆっくりとした口調で電話に応じた。
「もしもし」電話は少し遠かった「ヒロシくんの同級のソヤともしますが、ヒロシくんがそちらに行っているとお母様から聞いてお電話したんですが」
「ああ、ヒロシの友達か。ヒロシはおとといそっちに帰ったけど」
「えっ、今ご自宅にお電話したらそちらに行っているということだったんですが?」
「んー、そうか、しかしもう、こっちにはいないよ。すまないね」
「そうですか……」
受話器を置いた瞬間、ハクの姿が脳裏をよぎった。おれに背を向けたまま右手を大きく振って体育館の陰へと消えていったハク……。
もう二度と、ハクには会えない……。
電流のような感情が、おれの全身を貫いた。
まさか、な……。
気を落ち着かせようと、おれは煙草に火を点けた。
学校はすでに冬休みに入っていた。とはいっても、皆で集まって、楽しいひと時をすごす、なんてことはない。
「受験勉強」
高校三年生の所有する時間んは全てそのために費やされる。でもおれは受験勉強などする気になれたかった。ハクのことが気になって仕方なかった。おれはジーンズに財布と煙草とライターを突っ込み街に出た。おれの眼の前には見慣れた景色が広がっていた。クリスマスが終わり、去り行く年の最後も、人々はいつも通り街を歩き、家でテレビを見、風呂に浸かり、ベッドに入って寝るだけだ。そうやって時代は流れていく。そうして皆、歳をとっていく。
ただそれだけだ。おれだって、それだけだ。
学校を楽しい場所にしたい。そんなの夢物語だ。現実という迷路の中を、いつまでも彷徨い続けるだけだ。
おれは後悔していた。
何かの仕事や問題が起こった時や、何か、やらなければなたないことがある時、その何かをどうにかするのは「誰か」。それは自分自身だという選択をしたことを。
結局おれには何もできやしない……。
白い煙と共に胸の中に凝り固まった感情の燃え滓を吐き散らし、当てもなく街の景色の中を彷徨った。
何もできない、何も……。
その時、街の掲示板に貼り付けられた一枚のポスターがおれの眼に飛び込んできた。
『この人を知りませんか』
大きく太く力強く記されたその悲しげな文字の下に、ハクの写真が貼られていた。
『藤井博 年齢18歳 身長182センチ 瘦せ型』
ハク……。
おれは思わず唾を飲み込んでその場に立ち尽くした。ハクの行方は全くわからなかった。街に吹き抜ける冷たい風がおれの心の中にも渦を巻いた……。また、煙草を一本。
一日に煙草の箱をからにするようになったころ、時代はまたひとつ新しくなった。
「トム、起きろ、トム起きろ」
閃光が散乱した暗闇の遥か彼方から微かな声が聞こえてきた。
「起きろ、トム、起きろ」
意識がその声の本源を探索した。
……ハク?
瞬時にして意識が覚醒し、おれは跳び起きた。
薄暗い部屋の中でハクの姿態が白くぼんやり浮かんでいた。
呼吸が乱れていた。心臓の鼓動が耳元でなってると思えるほど、激しく、脈打っていた。
「お、お、おまえ。どど、どこにいるんだよ?」
焦燥のためか、声がどもってしまった。何度も瞼をこすって視力を取り戻そうとしたが、ハクの顔を明確に捕えるのは不可能だった。
「オレな、おまえだけには本当のことを話そうと思ってな」
ハクの声は機械で操作されたかのような電子的な声だった。
「ほ、本当のこと? 言えよ、親友だろ」
舌がおれの意志に反発するかのように言葉を詰まらせた。
「実はな、オレ…………人間じゃないんだ……」
「えっ?」 ハクの台詞の意味が全く理解できなかった「どどどどどどういうことだよ」
ハクはいつもの意志的な眼でおれを見つめているように感じられた。
こいつ、今、おれに。何かを伝えようとしている。それがおれにはハッキリわかった。
「オレはな、学校に住む妖怪なんだ……昔はよかったよ。みんな学校が好きで楽しそうで。オレは人間の笑い声を喰って生きる妖怪なんだ……でも、だんだん学校から笑い声が消えていった。……オレはすっと待ってた、学校を楽しい場所に戻してくれる救世主が現れるのを……トム……お前ならできる……学校を楽しい場所に戻してくれ……笑い声を取り戻してくれ……オレは、まだ死にたくないんだ……トム、頼む……」
ハクの顔が暗闇の中に遠のいていった。
「ハク、待てよっ」やっと心のままに声が出た「ハクーッ!」
そこで目が覚めた。全身が汗で濡れてた。息が止まりそうなほどの恐怖を感じた。喉は砂漠のように乾ききっていた。おれはベッドから這い出るように抜け出し煙草を吸った。
空はすっかり晴れていた。窓の外を行き交う人たちの足音や自転車の雑音が何事もなく聞こえていた。
それは、おれがその年見た初夢だった。嫌な、この上なく嫌な、初夢だった。
二日後、ハクからの手紙が届いた。中にはハクの字で書かれた便箋と解答が書かれた試験問題と思われる用紙が入っていた。
曽屋 勤へ
トム、すまない。死なせてくれ。
オレはずっと学校を楽しい場所にしたかった。理由は単純だ。オレは中三の時、みっつ年上の、理沙とうい名の女と付き合っていた。」彼女が通っていた高校はオレたちと同じ高校だった。彼女はその頃おれがよく行っていた喫茶店んでバイトをしていて、オレのほうから声をかけた。彼女には父親がいなかった。彼女が小学生の頃、両親が離婚したとい彼女は言っていた。だから受験の費用を自分で稼いでいた。彼女は優しい顔をしていた。だけどいつも淋しそうだった。友達ができない、誰とも合わないと彼女は言っていた。勉強は嫌いではない。だけどいつも淋しいと彼女は言った。そして、あろうことか、信じられないが、彼女は、自殺してしまった。その時オレは決心した。絶対、学校を変えてみせる。だからオレは、親や教師に逆らって、彼女と同じ高校に来た。オレもずっと淋しかった。トム、おまえと知り合うまでは。オレと同じように、学校を楽しい場所に変えようとしているのはおまえだけだった。おまえの言うように、高校は自分さえ志望大学に入るためにあるんじゃない。受験が存在するから、皆、忙しくて自分のことしか考えなくなる。だから理沙のように淋しい思いをする人間が生まれてしまう。きっと、田口も同じだ。学校という組織の中で問題を起こす生徒は皆きっと淋しいんだといおれは思う。
トム、澄田とうまくいっているか? お前が田口のことで小泉を責めた日、オレはおまえたちが付き合うことを予感した。オレの予感が当たっていれば、今頃おまえたちは恋愛しているはずだ。
トム、この問題用紙は長谷田大の入試問題と解答だ。どうやって手に入れたか、それは言えない。すまない。
どうか、澄田と幸せになってくれ。オレが思うに、学校は永久に変わらないかもしれない。だからせめておまえは澄田と幸せになってくれ。オレと理沙のい分まで、それがオレの最後の願いだ。
じゃあな、トム。
藤井 博
涙が、とめどなく溢れた。
冬休みの最終日、ハクの葬儀が執り行われた。寺院は白い菊の花で埋め尽くされていた。その中心にハクの遺影が飾られていた。こちらを向き静かに微笑んだハクの顔の中で、眼だけが意志的に光輝を放っていた。
「ハク……」
どうしようもなく涙が止まらなかった。和尚の経を詠む声が右から左へ左から右へ、耳の中を通過し続けた。
「トム……」
麻希だった。
葬儀の日時は、あろうことか、小泉によって伝えられた。麻希の顔もぐしゃぐしゃに崩れていた。
「マキ……」
おれは麻希の手を引いてっ寺院の外へいざなった。そして柳の木の下で、麻希にハクの遺書を渡した。
「ハクの遺書だ、読んでくれ」
しゃくりあげる呼吸に耐え、やっとの思いでそれだけ言った。
麻希は泣きながら、ハクの遺書を読んだ。
「トム……」
雲ひといつない快晴の日だった。不思議なくらい風が温もっていた。
「おれは……受験は、しない」
もう、幸せになんかならなくてよかった。
「マキ、おまえひとりで受けてくれ」
涙に濡れた瞳で麻希はおれを見ていた。そして小さく首を横にふりながら、
「一緒にいこう、一緒に」麻希はおれにしがみつき、さらに激しく慟哭した「ね、一緒に」
おれはチカラの限り麻希を抱きしめた。
これが愛なのか……。
焼香が始まった。普段あまりかかわることのない校長、教頭や教師、そして同じクラスの生徒も数名クラスメイト代表として参列していた。そして小泉も。
棺の中で、永眠についたハクは限りなく、限りなく
白くなっていた。
マジかよ、ハク。
そうしても信じられなかった。ハクが死んでしまったなんて。
焼香のあと、おれは小泉に歩み寄った。
「せんせ」
「ん? なんだ?」
「……」
言葉が出てこなかった。ただ黙ったまま小泉を睨んだ。小泉、というひとりの教師の言いなりにならないこと、それはおれにとって革命だった。学校を楽しい場所にしたい。ただそれだけのために。
「ソヤ、おまえこのままじゃ受かる大学なんてねえぞ、やる気あんのか」
やる気なんか……。突然、喉の奥を激しくたたかれるのを感じた。
言っちまえ、言っちまえ。
ハクの死が引き金になったのだろうか。感情の深海に沈んでいたいつもと同じ感情が、本心が、言葉となって、おれの喉から到頭噴火した。
「やる気なんかねえよ。おれは勉強が嫌いなわけじゃない、あんたがいつも言うように、自分のために勉強したいんだ、でも学校じゃあ自由に勉強できない、受験に縛られて……矛盾してるじゃないか、ハッキリしろよ、自分のために勉強するのか、受験のために勉強するのか、自分のためだって言うなら受験なんかなくせよ、田口が学校に来ないんだって受験のために勉強するのが嫌なんだ……みんな、みんな、誰かに自分の価値を決められるのが嫌なんだ、生徒のためになにもできないなら教師なんかやめちまえ‼」
参列者の視線が全ての角度から飛んできた。小泉は視線を落としていた。おれは自分がなにを言っているのか理解できないほど興奮していた。意味不明な絶叫だった。
「おれは……おれは闘うぜ。おれは、あんたとは違う。絶対変えてみせる。勉強というのは自分のためでも受験のためにもやるんじゃない。〝世界を〟平和にするためにやるんだ。それが、おれたちがこの世に生まれてくる本当の理由だ」
「ソヤ」
どこかで聞いたことのある男の声だった。声の主は両手をズボンのポケットに突っ込み、胸を張って堂々とおれの眼を見据えていた。
「タグチ……?」
「ああ、うぜえんだよ、おまえ。電話なんかしてきやがって」
おれは無数の白い花の中で光輝を放つハクの遺影を見た。
ハク、これでいいんだよな、これで……。
翌日、おれは麻希を連れて海に出かけた。ハクとキャッチボールをした、あの海へ。
陽は傾き、海はそれを受けて夕陽色に輝いていた。
「マキ……おれはなにもできないダメな男だ……顔がいいわけでもない、スタイルがいいわけでもない、歌が歌えるまわけでもなければうまく踊れるわけでもない、絵が描けるけでも小説が書けるわけでもない、速く走れるわけでも高く跳べるわけでもない。……学校を楽しい場所にするどころか、好きな女ひとり幸せにすることさえできない。……なにもないんだ。
おれは麻希に話すと同時に、夕陽の彼方にいるであろうハクにむかって伝えた。
「だからおれ……もう死ぬ」
麻希の瞳からまた涙が溢れていた。しかし麻希は笑っていた。
「一緒に行こうって、約束したじゃない」
麻希はおれに抱きつきキスをした。
「一緒に行く?」おれは砂浜に落ちていた貝殻を手にし、どこに遺言を残した。「マキ、生まれ変わっても、もう一度言うよ」おれはハクが教えてくれた、最高に優しい声で言った。
「世界で一番、おまえを愛してる」
「わたしも、トム……」
麻希の最後の笑顔は、限りなく、おれを幸福にした。おれは麻希の手を引いて、歩き始めた。
砂浜に残した遺言を誰かが見てくれるだろうか? ハク、もうすぐ会いに行くよ。波打ち際で靴を脱ぎ、おれと麻希は歩き続けた。
沈みかけた夕陽に向かって……。
『遺言 叶わなかった時代遅れのおれの夢
学校を
楽しい場所にすること』
おれは今でも祈っている
学校が
楽しい場所になることを
やがていつかその日がきたら
屋上へ出て
みんなで叫ぼう
学校って楽しい
みなさん長い間ぼくのくだらない三文小説『時代遅れの若者たち』に付き合ってくれて本当にどうもありがとう。
ぼくは小説を書く時、いつもルーズリーフに書き始めそれを推敲しながら原稿用紙に書いて最後にもう一度推敲しながら
パソコンに打ち込んでいるのですが次回からはしょっぱなからパソコンに打ち込む書き方に挑戦しようと思っています。
きっと支離滅裂で誤字脱字も多く時代錯誤した物語になると思いますが精一杯書きますので、どうかまた、長嶋優のブログ
に遊びに来てください。自作のタイトルは、
『雪の永い別れ』です。
ある程度キリのいいところまで書いたら、また登校するので、時々チェックしていただけたら幸いです。
それでは、みなさんもぼくと一緒に叫んでください。
人生って楽しい!