瀬戸内少年野球団を観た。1983年の秋、講義終わりの宮川先生に『もしや黒澤監督の乱を撮影されますか?』と聞くと、先生は苦笑いしながら『僕はもう体力が無いから、無理やわ。次は阿久悠の"瀬戸内少年野球団"という子供の映画(シャシン)を撮る』と言われた。ずいぶん失礼な質問をしたものだが、学生だったからと許して欲しい。令和の再見は、印象が当時とずいぶん違う。肝心の野球シーンはラスト30分でようやくスタートして、あっという間に終わる。がんばれ!ベアーズ日本版を求めていた観客はがっかりだが、篠田正浩の狙いは初めから戦後だった。GHQが淡路島の田舎に訪れた驚きを少年の目を通して描く。祭りの夜、ムメこと佐倉しおりが、オシッコの音を消すための歌をやめた竜太に『もう口聞かない!』と怒ったのは、転校して会えなくなる彼女の気遣いなのだと、ようやく分かった。別れの日、竜太は見送りにも行かず、教室でウジウジするばかりだがこっちが阿久悠だろう。対してバラケツは心のまま教室を飛び出して堤防で1人歌を唄い大きく手を振る。瀬戸内海の色を画面いっぱいに映し取った撮影宮川一夫はさすがだが、子供の背丈考えた1:1.75の変形アスペクト比や、コントラストを抑えるため当時すでに生産中止だった"フジの旧8517フィルム"の使用はあまりピンとこない。大学の他の先生の名前もクレジットに見て取れる思い出深い一本。なお、本作は女優・夏目雅子の遺作であり、俳優・渡辺謙の映画デビュー作である
1984年キネマ旬報第3位
こんな宣伝用スチールや
横一列に並ぶ予告編を見ると
野球映画の様だが、違う
傷痍軍人(しょういぐんじん)とその家族
GHQ占領下のわが国の物語
このカラーと本ブログ下から3枚目にある休憩中の夏目の服を比べて欲しい。グレーディングがない頃、作品の"色"を決めるのは、カメラマンの仕事だった
『私たち、野球やりましょ!』
京都上京区にある『映画おもちゃミュージアム』宮川一夫最晩年の撮影助手太田米男氏が設立
















