まず食事に気配りを始めた添加物を出来るだけ避け

毎晩寝る前にクエン酸水を飲み週に1回ラジウム温泉(神戸市の華の湯)

に通い華の湯の飲める温泉水2L(無料)もらって朝晩コップ1杯ずづ飲むようにした

華の湯の温泉水の水道管が壊れて持ち代えれないときにネット販売の猿投温泉(さなげ温泉)

の飲める温泉水(金泉の水)を飲んでいた。

これがいいのかどうかはわからないが続けていった。

後遺症は耳鳴り、放射線後の背中に時々痛みが走る。喉の違和感が今も続いている。

(ラジウム水ついては放射線科の先生に相談はしておいた)

1クールが無事終わり2クール目前の血液検査の数値が悪く

1週間伸びる事になる。2クール目が終わった後、造影CT

MIR検査をした結果お腹のリンパ節の腫瘍は半分くらいになり、頭の腫瘍も

半分くらいになっていた。2クール目の時に先生に頭に放射線を

しないのですかと聞いたらしないと言われ、抗がん剤は頭に効きにくい

と聞いていますがと聞くと,この癌は血の癌みたいなとこもあるので

抗がん剤が効きやすいからと言われ効かなかった時に放射線治療を

考えましょうとなった。2クールの後イミフィンジの副作用は

酷い下痢りになったことぐらいだった(10日ぐらい)

このとき体調は普通の状態だった。

あと2回の治療で腫瘍が消えてくれと祈る思い

(補足、神戸市在住の50代男です)

 

2021年11月に再発した後治療に入った1日目は採血と抗がん剤の

説明だった。1度目と同じ治療だと思っていたが違う薬剤だった。

薬剤名(イミフィンジ、カルボプラチン、エトポシド)

1日目イミフィンジ、カルボプラチン、エトポシド

2日目エトポシド単剤

3日目エトポシド単剤この3日間の治療を1クールとし4週に1度で

4クール行う予定です。

この時イミフィンジを使用すると言われたが聞いたことがない

でも主治医のことは信頼していたので何も聞かずに任せることになる

この回の治療が上手くいくことを願うばかりだ

 

転移してることが非常に恐ろしくもう治らないと言われたことが頭に

残る。入院までの1週間色々と素人なりに調べた

初めの治療から90日以上経つので同じ抗がん剤が使えるので

同じ治療をするのだろうと思い,頭は放射線治療だろう。

せっかく伸びた髪の毛がまた抜けるのかと思い残念でならない

約1年上手くいってたのに再発したことはショックでならない。

最初の治療のあと頭に予防的全脳照射を主治医には当てないといわれた

(その理由は後遺症がでるので年齢も若いのでやめておきましょう)

でも頭の腫瘍には抗がん剤は効きにくいらしい。

今回の再発に対して先生はどの様な治療を考えてるのか気になりながら

覚悟を決めた。(不安で仕方ないががんばるか)

 

 

 

あれから1週間(再発、転移のことが頭から離れなかった)

体調はとくに変わりはなかった。いろいろとネット検索をした結果

頭の転移がとにかく気になりながら検査結果を聞きに行く時が来た。

診察室に入ると先生からこれを見てとct画像を見せられ,ここと

指を差されたおなかの右中心のリンパ節に7ミリぐらいの腫瘍があった

先生曰くこれは大きくなっても痛くならないとこだと言われ

そのあとMRIの画像を見たとき右前頭部に15ミリぐらいの転移があり

頭が真っ白になったのを覚えている。

(先生にあとどれぐらい生きれますかと尋ねると少し焦ってる様子で

わからないと言われた)

先生からもう治らないと言われとにかく来週から入院して抗がん剤

治療を始めると言われ、ただただ呆然としてどういった抗がん剤を使うのか

いろいろと聞くことすらできずに入院の手続きをして帰った。

 

 

 

4クールの治療が終わり経過観察になる。

肺の腫瘍はほぼ見えなくなり(このまま寛解まで頼みます)

次から6週ごとに造影ctと血液検査を行うことになる。

5,6,7月は再発もなく無事に過ごせたのでよかった

7月の腫瘍マーカーは基準値内でよかったこのまま行ってくれと

祈る気持ちになった。

8月の腫瘍マーカー47と基準値内に収まりとりあえず一安心。

9月の腫瘍マーカー57ととりあえずクリアーできた

10月の診察でマーカーが80となって先生曰くどこかに隠れてるかもといわれ

1週間後に造影ctとMRIを撮ることなり動揺と不安になりながら

その日は家に帰る。                                                 

 

2020年12月2クール目の標準治療3日間行う(シスプラチン、エトポシド)

1日目7時間の点滴、2,3日目は3時間なかなかつかれた。

2週間ぐらい気持ち悪さや倦怠感と便秘があり少し楽になるころに

次の治療が始まる。(頑張るしかない)

2クール目が終わり3日後に造影ctを取り診察の結果,

肺の腫瘍はほとんどなくなり、リンパ節もほとんど見えなくなっていた

先生から後2クール予防のつもりで頑張ろうと言われた

体は耐えられないほどでは無いのであと2クール頑張ろう。

2021年1月に3クール目、2月に4クール目も無事に治療が受けれた。

入院2日目第1クール約7時間の抗がん剤投与、

薬剤名(シスプラチン、エトポシド)

3日目から1日2回の放射線治療(9時と3時,月~金)

15日間の30回と抗がん剤治療(エトポシド)

抗がん剤の副作用(気持ち悪さ、耳鳴り、便秘、脱毛)

放射線の副作用の食道のやけどがきつかった、

(放射線が20回目の時に放射線科の診察があり先生に小さくなっていますかと

尋ねると大きくなっていないから大丈夫と言われ少し落ち込んだ)

抗がん剤治療1クールと放射線治療が終わり退院するこになり受付で手続きをしていると、

主治医と偶然会いニコニコとした顔でこちらに来て次は外来でと言われ

はいと答えて退院することになる

(主治医のニコニコ顔をみて少し安堵感を覚えて帰った覚えがある)

 

大学病院に診察に行く。

検査の結果、転移はなかった。

その時先生が立ち上がって「根治を目指そう」と言ってくれた。

(熱い人だなとこのとき感じた)

そのあと病気の説明を聞き小細胞肺がんと言われ

(肺がんと小細胞肺がんとどう違うのと思った)

転移がないので先生にまだラッキーですかねと聞くと

この癌になってラッキーなんかないと言われる。

(この時小細胞肺がんの怖さを知らなかった)

2週間後に入院が決まり抗がん剤と放射線治療をすると言われ

家に帰りこの日からネット検索が始まる。

いろいろと不安になるがやるしかないと心に刻む。

 

 

こんな医者に命を預けなくてよかったと思う。

なぜあのような電話をしてきたのいまだにかわからない

数日後がんセンターから電話が鳴る。

電話に出ると今日PET検査の日ですと、

前にお断りしてますよと、

悩んでいるとお聞きしています

いいえ、はっきりとお断りしました市民病院に確認してください

と言って電話を切る。

あのとき何か違和感を感じて病院を変えたのは本当に

良かったと思った。

(なぜこのような行動に出たのかはわからないがこのような

医者に命を預けなくて心の底からよかったと思う。)