食物アレルギーのある人、結構いるよね。
2016年の調査では、食物アレルギーの有症率は学童期で4.6%だとか。
食物アレルギーでアナフィラキシーの危険がある子どもを学校で受け入れるとなると、現場は本当にピリピリする。
給食センター、学校、保護者で何度も話し合いを重ね、食べられるもの、食べられないものを一つ一つ確認する。教室には献立表を掲示し、担任も、本人も、給食当番も何度もチェックする。
それでも事故は起きる。
随分前になるけれど、小麦アレルギーのある子が、給食のパンをおかわりしてしまい、重大事故一歩手前になったことがあった。
保護者の献立表へのチェックが漏れていたのだ。
担任は違和感を覚えながらも、保護者が確認した献立表を信じ、提供してしまった。
もちろん学校の責任は重い。
しかし、当時給食担当だった私がずっと引っかかっていたのは別のこと。
その子は、自分で米粉パンを持ってきていたにもかかわらず、「給食のパンは食べてはいけない」という認識がなかったのである。
保護者は学校を厳しく責めた。
「パンが小麦でできていることも分からないのか。」
もちろん、責められても仕方のないことではあったろう。
一方で、その知識は、本来、少しずつ本人にも身につけさせるべきものではなかっただろうか。
分かっていなかった本人が悪いと責任を転嫁するという話ではない。
しかし、命に関わることだからこそ、年齢に応じて「これは危険」「迷ったら食べない」という感覚を育てることは、忘れてはならない教育ではないだろうか。
後に、代替食はあえて通常食と同じ見た目にしないという実践を知った。「みんなと違うことがかわいそう」ではなく、「自分の食べ物を見分ける力」を育てるためだという。
目からウロコだった。
学校を卒業してしまえば、
あるいは卒業しなくても学校を一歩出れば、
食べ物の安全性をチェックしてくれる先生はいない。
親だって、いつも隣にいるわけではない。
だからこそ、本当に大切なのは、「本人が自分の命を守れるようになること」ではないだろうか。
「自分で命を守る力」を育てること。
そして、「自分の命は、自分が守るものだ」という主体性を育てること。
それもまた、教育の大切な役割だろう。
その子は一生、そのアレルギーとともに歩いていかなければならないのだから。

