今日は、夏至ですね✨

そして明日は満月です。


こんなに陽が極まる日が来るなんて、びっくりします。


ただ事ではない日になるのではないかなと、私の中でワクワクしていますよ。


天氣は大荒れの雨ですが、日本中、世界中が、穏やかで優しい日であることを祈っています🍀


こんな日なので、私が大切にしている記憶のお話しをしたいと思います。


それは、黄泉の国のこと。


私は、16歳の時に、卵巣嚢腫捻転というものになり、赤ちゃんの頭サイズの腫瘍を摘出しました。


(食養を学ぶ中で分かったのは、捻転になると、2~3時間で切除しないと亡くなるそうです。なので、私は亡くなっていたかもしれなかった)


当時は、10代で子宮頚がん枠珍をやろうなんて話しはなかった時代。

(この枠に関して私は❌だと思っています)


おなかが痛くて、夜間救急を受診するも、盲腸と診断を受けました。


治療も薬も効かず、2日後に耐えられない激痛が起き、再度、病院を受診。


盲腸という診断から離れられない医師は、悩むばかり。

(初診は病院長が診察、再診は院長の息子(研修医)が診察)


私は直感で、子宮が破裂すると訴えました。


だけど、医師は聞いてくれません。


散財、待たされ、何度も私は子宮破裂を訴え、そして◯吐をした時に、その症状から内部エコーを行うと判断してくれました。


内部を見た医師は、「なんだこれは、、、」と、絶句していました。


どうしたら良いか考えるも、その病院には婦人科がない。


すぐに転院先を探すことになりました。


だけど、なかなか状況が変わらない、何も処置をされず、病院の奥の部屋の倉庫みたいな薄暗い場所に放置される。


連絡を受けて、仕事から飛んで来た親も待合室にいる状態。


私一人。

痛みで泣き叫んでる私を無視する様に誰も来ない。


しばらくして、唯一、一人だけ、看護士さんが背中を少しだけ、さすりに来てくれました。


何時間待ったかな。

夕方16時くらいに病院に行って、救急車に乗せられた時には、もう外は真っ暗でした。

18時過ぎでしたね。


私は痛みで何度も氣を失って、起きてを繰り返していました。


救急車で、5キロほど離れた病院へ行きました。


全身麻酔を背中の脊髄に通す時、かなり痛いから我慢してねと医師から言われましたが、私はおなかの痛みが強くて、麻酔は全く痛くなかったです。


無反応の私を見て、医師がびっくりしていました。


長い時間の痛みとの戦いで、私はもう憔悴し切っていました。意識も、うつろうつろで、母に、お別れを伝えたのは覚えています。


母とは、ようやくこの時に会えました。


緊急で手術をして摘出、1時間くらいの手術で、全身麻酔から目を覚ました時には、もう21時を過ぎていました。


右側の卵巣を摘出、左側は、(おなかを)あけてみないと分からないと言われていたので、母に、残った?と聞いたら、‘’あるよ‘’と言われて、ほっとしてまた眠りました。


その後、私は3日間眠っていました。


とても幸せな夢を見ていました。


全てが柔らかい黄色の世界


風景等は無く、ただ、ただ、黄色の世界


稲穂がたわわに実っている様な、そんな色の世界でした。


とても温かくて、ぬるま湯の温泉に入っている様な、とても心地好くて、優しい世界でした。


私は、とっても氣持ちが良くて、ずっと、ここにいたいと思いました。


だけど、毎日、検温や診察で起こされます。


身体を揺らされ、嫌な声で起こされる。


起こさないで!と思った。


嫌だ、起きたくない!


パッと目を覚ますけど、すぐに戻ろうとしました。


そして、しばらくして、また起こされる。


だから、起こさないでよ!!と思って、腹が立って来た。


こんな世界にいたくない、寝ていたい。

嫌だ、起きたくない。


また戻ることが出来た。


それを繰り返し、3回目で、しっかり目が覚めました。


目を覚ました時は、絶望しかなかった。


身体中は管が繋がれ、おなかには重しが乗せてあり、身動きが取れない。


身体も変な感じで、緊張した様にカチカチしてる。


呼吸も安定しない。


おなかは横に12cm切った。

ホチキスみたいな針で抜糸してあった。


目を覚ました私を見て、母は安心していました。


聞いたら3日間、私は寝ていたらしい。


麻酔はとっくに切れているのに、なぜ起きないのか、医師も不思議に思っていたそうです。


私としては、15分くらいしか寝ていた氣がしなかったので、3日も寝ていたと聞いて、凄く驚きました。


なんか、浦島太郎みたいだなと。


幸せな夢の場所には、あれから一度も、行けていません。


毎日、3ステージくらいの夢を見るのに、あの世界には行けていない。


あれが、黄泉の国だったというのは、ずいぶん大人になってから、氣付きました。


とても幸せな世界でした。


誰もいない。


何も無い。


黄色の、あったかい世界


私が手術をしたのは、4/7、妹の誕生日でした。


4/8は、眠っていたけど、私にとって、新たな人生をスタートした日。


後で調べたら、4/8は、お釈迦様の誕生日なんですね。


これを知った時は、泣きました。


なぜ、私は生かされたのか。


ずっと、考えていました。


後悔しない生き方をしようと思いました。


いつ死んでも良いと思って、毎日を過ごしていました。


あれから、27年。


こんなに長く生きるとは、全く予想していなかった。


子供も諦めていたのに、まさか、子供を授かるとは思ってもいなかった。


子供を授かった時にも、奇跡のエピソードがあるので、また後日、書きますね。


この世には、神様はいる。


だけど、もう、どうしようもなくギリギリにならないと、手を差しのべては、くれない。


もう少し早く助けてよ!って、思うことは多々ありますが、簡単には助けてくれないんですよね。


だから、毎日、天に祈りながら、どう生きたら天は喜ぶか、それを考えて過ごしています。


もし、困った時の神頼みを生かしたいなら、毎日、空に意識を向けて、天に祈りを向けてくださいね。


宗教なんて関係なく、ただ、ただ、純粋に、祈りを向けるだけで良い。


天から、ちゃんと見てもらえる人になるためにね。


天と繋がって生きていると、時に、不思議なことが起きる。


あぁ、見ていてくれてるんだと思うことが起きる。


悪いことは出来ない。


私が今も元氣に生きていることに理由があるなら、


この経験を、たくさんの方に伝えたいと思う。


読んでくださった全ての方に、何かしらのpeaceがあると良いなと思います🌼


今日も、素敵な1日をお過ごしくださいね🌱