久しぶりの投稿になりました💦
連日、ミッションが続いていて、落ち着かない日々を過ごしていました。
めまぐるしい毎日だと、1日があっという間に過ぎてしまい、また、たくさんの人と関わったり、たくさんの人の中にいると、私の思考回路も波動も、パンパンになってしまって、そんな時は、夢の中でもたくさんの人が現れます。
時には、寝ていない状態でも、誰かの声が頭の中でグルグル巡ったり、聴こえてきたり、目を閉じると、いろんな人の顔が次々に出て来たりします💦
私の魂波動は低次元ではないので(ヴィーガンをする理由の一つ)聴こえたり、見えるものは幽霊的なものではなくて、ただ、そこにある、という感じです。
私が出会った人、関わった方の中にある誰かの声や、お顔だと思います。
とても影響を受けている存在という感じです。
良いものか、良くないものかは、その人それぞれですが、私に飛び火するのは、よほど、その人が強く影響を受けてる場合が多いと思います。
分かりやすくお話すると、憑依ですね。
私に飛び火したものは、私の波動に耐えられなくなるので(次元が違う)一晩すれば消えてしまいます。
彼らも、私を陥れ様とは思っていないので。
熱心な宗教的な強い波動や、強いネガティブな想念の場合は、もう少し時間がかかりますが、浄化するまで日々、清めるのみですね。
なので、こんな状態の時に見る夢は、雑然としたものが多くて、目が覚めると忘れてしまいます。
メッセージ的な夢を見ても忘れてしまうので、それは忘れて良いことだと思っています。
数日経っても忘れない夢は、お天道様が伝えたいことだと思うので、今日は、その話しを書きますね。
この夢は、2月の上旬に見た夢です。
私はお友達と広い原っぱの中を走っていました。
向かっているのは、原っぱにポツンとある、塔があるところ。
黒っぽい鉄柵のガードレール沿いを走っていました。
途中、おばあちゃんに会いました。
知らない人ですが、おばあちゃんも塔に向かっていました。
塔に向かっている理由は、津波が来るから。
私は、おばあちゃんを背負って、走りました。
重さは感じませんでしたが、おばあちゃんが少しでも私が
軽く感じる様に、早く行ける様に、ガードレールの鉄柵を掴みながら、船を漕ぐ様な動きをしました。
早く走る為のバネにはなるけど、強く引く為に腕に力を入れるので、その力で、私の身体のバランスが崩れてしまうので、やめる様にお話しました。
その後、塔の階段にたどり着きました。
私の左手側が海です。
右側が原っぱ、草原。
津波はもう少しで来てしまうところですが、まだ大丈夫。
大丈夫と信じて、階段を登り始めました。
螺旋階段で、狭い階段でした。
おばあちゃんを少し重く感じましたが、てすりを支えに、必死に登りました。
階段の先は、登りたい人達で渋滞しています。
2階まで登ると、堤防の上と繋がっていて、広場の様です。そこにエレベーターがあるから、そこから更に上に行けるよと、前にいる人に教えられました。
2階まで上がれば、もう大丈夫。
津波は2階には来ません。
最後尾は、私。
背中には、おばあちゃん。
もう津波が来るまで数分というところ。
だけど、間に合ったという安堵の氣持ちになりました。
さぁ、2階だというところで、目が覚めました。
2階がどんな風景だったのか見ずに目が覚めてしまって、少しがっかりしました。
だけど、私は人助けをしたんだという、嬉しい、誇らしい氣持ちになりました。
この場所はどこなのか、はっきり分かりませんが、私の感覚では地元です。(宮城)
過去なのか、未来なのか、分かりませんが、周りに何もない場所なので、現代ではないと思います。
原っぱの草はみんなベージュ色だったので、季節は秋~冬です。
津波の夢なので、ブログに書くか迷いましたが、現代の風景ではないので、予知夢ではなく、ある場所の話し、物語として見てもらえたら良いなと思います。
東日本大震災の時、私は子供を出産したばかりというのもあったのか、1月くらいからずっと、授乳中に地震の映像が何度も脳裏や瞼に映りました。
精神的におかしいのだと思っていましたが、地震が起きて、あれは知らせだったのだと思いました。
(仙台に里帰りするか迷っていたので)
何だか分からないけど、行ってはいけない氣がしていたので難を逃れました。(千葉にいました)
もしまた大きな地震が来る時には、私のご先祖様や、守護神が何度も知らせて来ると思うので、今は、そんな知らせはないので、大丈夫だと思っています。
おそらく、夢で知らせると思います。
また何か、印象的な夢を見たら、書き記して行きますね。
お読みくださり、ありがとうございます🌼