気功療法
あの世から戻った超スーパー気功療法師の旦那ちゃんが
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こんにちは。
ずっと我慢してたのに…今日はとうとう、昼から食いしん坊スイッチが入り、お菓子をたらふく食べてしまいました…というか、あの勢いは「飲んでる」が正解晩ご飯は軽くそうめんにします。(←食べるんかいっ)
さてさて、今日は旦那ちゃんのもう1人の娘さんとのお話です。念のため、名前を伏せて「Mちゃん」と表記します。
2代目の奥さん「おつくりちゃん」と一緒になると(あだ名の由来はコチラ)、子どもが大好きな旦那ちゃんは、今か今か、と子どもを待ち望んでいましたが、なかなかその知らせはありません。しゃあないか、と諦めた6年目、とうとう待望の赤ちゃんが誕生しました。
ようやく授かったカワイイ娘、もぅたまらんおつくりちゃんは専業主婦なのに、なぜかいつも「忙しい」といってほとんど家にいませんでした。旦那ちゃんは疑問に思いつつもあまり気にせず、カワイイMちゃんにいつも付き添いました。そして別れた娘・和美ちゃんの分までたっぷり愛情を注ぎました。Mちゃんはスクスク育ち、お父さんが大好きなちょっとおしゃまな子に成長。まるで大人のような言動で、周りの大人を微笑ませていました。
Mちゃんには、いつも「お母さんが違うお姉ちゃんがおるからな、和美っていうねん。大人になって会いたくなったら会ったらええで。」と話して聞かせていました。忘れないように、Mちゃんに和美ちゃんの話をいつも聞かせていました。
ある日、Mちゃんに「何が食べたい?」と聞くと、「ラーメン。」
「よっしゃ、任せろ!ホンモノ食べさせたる!」
燃えた旦那ちゃんは、すぐ肉屋で鶏ガラを大量に買ってきて、鶏ガラスープを作り始めました。ようやく完成した本格鶏ガララーメンを味わったのは、翌日夕方でした。
こんなこともありました。
Mちゃんの誕生日前、旦那ちゃんは「プレゼント何がええか?」と聞きました。Mちゃんは、その頃話題になっていた「りくろーおじさんのチーズケーキ」をリクエスト。「よっしゃ、任せろ!」旦那ちゃんは難波の本店まで行きました。
並ぶのが大っ嫌いな旦那ちゃんでしたが娘の為に耐え、ようやくあと数人、のところで「本日の販売分終了で~す。」の声。うそやん店員さんの話では、翌朝8時から電話にて予約受付するとのこと。気を取り直し、翌朝は時間前から受話器を握ってスタンバイ、8時ジャストに電話をかけました。
朝イチの電話口での答えは、「本日分の予約分は受け付け終了しています。」
なんでやねん!朝イチでなんでもう終わんねん
カッチーン!と怒りスイッチの入った旦那ちゃん、「待っとけ!」と電話を切り、そのままりくろーおじさん本社へ乗り込みました。
本社に怒鳴り込むと、副社長が出てきました。そしてしばらく話を聞いてくれた後、「これはお詫びですのでお持ち帰りください。」といってチーズケーキを差し出しました。旦那ちゃんは言いました。
「僕はヤカラ(悪い子)ちゃうで。タダでもらう為に怒鳴り込んだんちゃう。予約受付の方法が腹立っただけや。このケーキのお金は客としてちゃんと払う。」お金を渡し、チーズケーキをMちゃんに持ち帰りました。
後日、りくろーおじさんの社長から、時代劇でみるような巻物の、毛筆で書かれた長~いお詫び状が届きました。その心に感動した旦那ちゃんは、それ以来今でも、チーズケーキはりくろーおじさんしか買いません。
お家を建てて引っ越しした時です。
しばらくすると、Mちゃんの元気がなくなりました。心配して話を聞くと、学校で転校生という理由でいじめられていました。「何でやねん!転校して何が悪い!」怒りスイッチの入った旦那ちゃんは、学校に乗り込み、先生相手に猛講義。いじめた生徒を集め、先生方・旦那ちゃんの目の前でMちゃんに謝らせました。それ以来、Mちゃんが卒業するまでいじめられることはありませんでした。
旦那ちゃんはMちゃんにいつも言っていました。
「勉強は最低限できたらそれでええ。それよりいっぱい遊べ。遊びの中から学ぶことの方が、大人になって役に立つ。」
Mちゃんが宿題をやってると、横からノートを取り上げ、遊びに連れ出していました。お陰で(?)Mちゃんは親の目を盗んで勉強するようになり、効率よく勉強できる立派な子に育ちました。
ある日、おつくりちゃんの借金が発覚しました。いちどは何とか危機を乗り越えたものの、二度目の借金はもう打つ手がなく、協議離婚することになり、おつくりちゃんが家を出ることになりました。両親が離婚というだけでもショックだろう、と気遣って、離婚の理由をMちゃんには伝えませんでした。そして、母親に会えない生活は辛かろう、とMちゃんの為におつくりちゃんに家の鍵を渡し、いつでもMちゃんと会えるようにしていました。
数ヶ月したある日、旦那ちゃんが家に帰ると、テーブルに1通の置き手紙があり、Mちゃんがいなくなっていました。それは、ママと2人で愛想を尽かした、というMちゃんからの別れの手紙でした。身に覚えがない旦那ちゃんの悪行三昧を並び立て、「ママが可哀想!パパなんて大嫌い、一緒になんか暮らせない!」それから旦那ちゃんの一人暮らしが始まりました。
おつくりちゃんとMちゃんは、すぐ近所に住み始めたので、たまに道で会いました。そして、次第に連絡もとりあうように戻りました。Mちゃんは気功療法の施術院に遊びに来たこともあります。本棚にズラリと並ぶ専門書を見て、「昔のパパからは想像できひんね。」と笑いました。Mちゃんから「結婚したい人がいる」と聞いた時、旦那ちゃんは言いました。「お前が選んだ人なら、たとえ相手がヤクザでも、僕は認めるよ。」その後彼氏と一緒に会いに来てくれて、3人でボウリングもしました…結婚式には呼ばれませんでしたが。
あるMちゃんの誕生日前に、電話をすると応答がありませんでした。何度かけても応答なし、メールも反応がありませんでした。それ以来、着信拒否は続いています。
なぜ着信拒否に至ったのか、理由は全く分かりません。暖かい家庭にずっと憧れ続けた旦那ちゃんには、血を分けた娘の拒絶が耐えられませんでした。娘には何も後ろめたいことはしていない。なのになぜ?こんな想いまでして生きる意味がわからない。心の埋めようがない大きな穴がポッカリと空いたままで、絶望の闇に落ちていました。
しばらくして風の便りに、ご主人が〇〇町(すぐ近所)に家を建て、子どもも生まれたらしい、と聞き、こっそり見に行きました。そこには立派なお家があり、表札にはMちゃんの名前がありました。ベルを鳴らすかさんざん迷いましたが、Mちゃんを困らせないようにベルは鳴らさずに帰りました。
その後すぐ私と結婚してからも、近くにいるけど顔は合わせない状態でした。(私はMちゃんと会ったことはありませんが、写真のMちゃんはキョン²似のべっぴんさんです。)その町から今の西宮へ引っ越すことになり、旦那ちゃんは自分の心を整理すべく、Mちゃんのお家へ一人向かいました。お家は以前見たそのままで、表札も同じでした。それを確認すると、旦那ちゃんは家に向かい、心の中でMちゃんに呼びかけました。
あんたが僕をどう思ってるかは知らんけど、僕はあんたにありったけの愛情は注いだし、思い残すことはない。旦那に大事にしてもらって、今が幸せならそれでええ。僕との縁を切って幸せになるなら、切ったらええ。僕は僕で、信じた道を生きる。二度と連絡もせぇへん、これでお別れや。元気で、幸せにな。
決別の宣言をし、一礼して、もう振り返らず立ち去りました。
2人の娘を授かった旦那ちゃんですが、娘たちとの縁はともに長く続くものではありませんでした。娘たちの話をする時、旦那ちゃんは今でも当時の気持ちが蘇ります。
「辛くない、といったらそりゃウソやで。でもな、辛いばかりじゃ前に進まれへんやろ?僕を待ってくれてる人が沢山いるから、その人達の為に、気功で前に進めるんや。みんなが僕を支えてくれてると思うと前に進めるやろ?」
「人には避けられないものが宿命としてあり、僕もそれを背負ってるんやな。それが、この娘たちとの縁の薄さやってんな。それを知って、受け入れたらね、楽になった。」
もう二度と、家族の絆が切れることがないように、もう旦那ちゃんが寂しくないように、私はずっと傍にいてます。
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全ての方に支えられて、私たちがあります。
これからも愛と魂を込めて、気功療法を送り続けますね
ありがとうございます。
明日も晴れやかな一日になぁれ