一つは適性。
子供の頃から手先が器用で工作や絵画が得意だった事。
少年野球、水泳、ラグビーと体を鍛え抜き、体力もあった事。
中学時代は自由研究で市で金賞をもらったりして研究熱心だった事。
高校の時は国語の先生に肩もみをして「うまい、うまい」と言われ100円お駄賃もらっていたり、
ヤマト運輸に勤めていた時はやはり肩もみをして「ん~これはここでやってるんじゃなくて早く店もった方がいいんじゃない?」と言われ「こりゃタダじゃだめだ」と言って500円もらったり、
女性の痩身専門のスポーツクラブに勤めていた時は、プログラムの中にマッサージのサービスがあり「今までマッサージされた人の中でプロ、アマ含めて一番うまい」と言われたりしていた事。(少し調子に乗った)
人の体の仕組みに興味があったし、人とのコミュニケーションも嫌いではなかった事。
それをひっくるめて適性があると自己分析した。
もう一つはカイロプラクティックという療法そのものの魅力、何と言っても自分が経験した療法の中で最も効果が高かった。
カイロプラクティックを知ってからは、整形外科や接骨院はバカバカしくて行かなくなった。
自らの保身のために国家資格を取るのではなく、一番治る療法を患者さんに施したくてカイロプラクターを目指した。
称号よりも実力を身につけたかった。
この療法を必要としている人はたくさんいるだろうと思った。
そしてもう一つは、人のためになる仕事がしたかった。
世の中のどんな仕事も誰かのためになっていると思う。
その仕事に優劣も順位もない。
ただ、あの時の自分は、やってもやっても軽んじられる仕事よりも、少なくともやった事に対して喜んでもらえる仕事がしたかった。
そして、その人にとって唯一無二の存在になりたかった。
痛みや不調で困っている人のonly oneになるためにカイロプラクターになった。
商品力となる技術の研鑽に糸目がないのも魅力だった。
最後にあの時自分の置かれていた状況。
32才を過ぎて、結婚していて、子供はまだいなかったが、3流警備会社のボーナスもない手取り22~3万円の給料では、およそ家族を養っていく事が出来ない。
大学を出て企業に就職しエリートコースを行くというような人生設計はもはや描きようもない。
自分の適性、仕事の内容、やりがい、それらが全て集約された仕事がカイロプラクターだったのだ。
もう後にも先にも、この道で生きていくしか自分には選択肢がなかった。
難しかろうが、大変だろうが、
“そんなの関係ねぇ!!”
絶対カイロプラクターになってやるんだ!!
そんな熱い決意を胸に私はカイロプラクターを目指す事になるのだ。