ネガティブを認め、次に進むために、
過去の自分を観察した記録④
【4】姉のことと経済事情
貧しかったので、市の補助を申請して通園していたと知ったのは、小学生になってから。
同じ学年にもう1人、補助を受けていた人がいたという。
高校は日本育英会、専門学校は富山市の奨学金のお世話になっていた。
今のような医療費の制度や生命保険がなく、生まれた時から病気を持つ姉の受診料の負担は大変だったと話してくれた。
「『病気の子供を連れていれば生活が大変だと同情されても、居なくなってもボロを着とったらあかん。』言われたって、俄かにいいカッコできるわけない。」
伯母(母の姉)に言われたことを、そう話したことがあった。
幼い頃から、服を買ってもらった記憶は少ない。
お下がり(伯母の娘=従姉から)がほとんど。
下着もお下がりのこと多々。
稀にハギレで縫ってくれる。
かわいいと思う布があっても、
「量り売りは高いからハギレから選んで。」
と、言われ、絵柄ではなく、ハギレの長さで決まる。
クラスメイトがかわいい服を「買ってもらった」と自慢するが、肥満のわたしに合う服は売っていない。
小学3年生の時にわたし用のミシンがやって来た。
これを作る、と、自分で決められる。
物凄いものは作れないが、楽しくなった。
夏休みには真っ先に1着作り、小学生の頃は自由課題として提出したり、お盆にお墓参りに着ていったりしていた。
世界にひとつ、と思うと少し嬉しい。
今はふっくらさんも服を選べるし、作るよりも買う方が安いこともある。
いい時代だと思う。
わたしは作る楽しみも知っている。
そのミシンは今も使っている。
母から聞いた、姉が言ったこと、したこと。
「お母さん、お化粧ってお金かかる?
お化粧しなくていいから、わたしの病気治して。」
「『・・・(わたしの名前)、かわいい。おねえちゃんにしてくれてありがとう』言うとった。」
「あんた(わたし)が泣いたら、ワシ(母は自分をワシと言っていた)がおしめ替えて、その間にサッと哺乳瓶持ってきてくれた。」
中学1年だったかな?
学校心検で、家族歴のせいか、夏休み中に精密検査に行くように言われた。
その時したのが心電図とマスター2ステップ(もうしないんじゃないかな?)と心エコーとホルターECGだったとわかったのは、専門学校へ行ってから。
マスター(凸形の段を昇り降りしながら心電図を記録するもの)と心エコー(心臓超音波検査)はとっても嫌だった思い出。
マスターは上半身裸で電極つけたまま段を昇降。ガラス張りの向こうでニヤニヤしてしている技師たち。
暗い部屋でベタベタなものをつけて、ペンみたいなもの当てて「息、吐いて、止めて。」
苦しくて息を吸うと、「息止めてって言ったでしょ!吸っちゃダメ!」
今なら息を吐いて止めていただく理由も分かる。当時のわたしは知らない。何の説明もなく暗いところで、プローブ(この言葉も専門学校行ってから知った)が当たるのは痛いし苦しいし。
何度も注意された。
わたしはそんな技師になりたくない。