昭和40年代後半であったと思うのですが、

朝8時前後の東横線に各駅停車・高島町行きという電車がありました。

 

当時の東横線は、渋谷から横浜を結び、その先、高島町を経て桜木町が終点。

高島町は代官山と同じように終点手前の駅でしたが、

代官山はひなびた駅、高島町は寂れた駅という印象でした。

 

東横線の横浜~桜木町の間が廃線となり、東横線・高島町駅は忘れ去られつつありますが、

何故、わざわざ終点手前までの高島町行きがあるのか、

と疑問をもったことを、ふと思い出すことがあります。

 

ところで、この旧高島町駅から徒歩数分のところに、『三菱ドック踏切』という踏切があります。

 


 

旧東横線と京浜東北線の高架下を並走する貨物線の踏切。

単線をわたる歩行者専用の小さな踏切ですがそこそこ利用者を見かけます。

 

踏切の手前に温故知新と称した案内が掲示されています。

ここが、港の繁栄をになっていた三菱重工・横浜造船所正門前であったことが記されています。当時は通勤する勤労者で、この踏切もにぎわったことでしょう。

 

 

おそらく、東横線・高島町駅からの通勤者も少なくなかったのでは。

もしかして、その通勤者の便を考えたことも、高島町行きが存在した理由かもしれません。

 

温故知新そのままに、今は造船所や工場群からはすっかり様変わりして、

踏切の先には、ランドマークタワーがそびえ、同じ三菱重工でも三菱重工ビルが見下ろしていて、わずかに、ランドマークタワーの横に保存されているドックヤードが当時のよすが偲ばせています。

 

踏切や兵どもが夢の跡