総論賛成、でも各論になると異論続出、
なんてことはサラリーマンの日常によくあること。
難民・移民の問題にも当てはまる面も。
難民を気の毒に思う、手を差し伸べたい、笑顔で迎え入れたいと、思う気持ちはあっても、その国の文化や考え方・心の持ち方をしっかりと伝え理解を得た上で受け入れたいとも考えるのでは。
そのためには、大人数を短期間で受け入れることは現実的ではなく、一つの町や村に数家族に来てもらうというのが着地点なのかもしれません。
理想と現実、建前と本音、日本人は良い加減で曖昧にしながら、現実解に導くのが意外に得意なのかもしれません。
選挙となると、民主国家であれば、どんな選択をしたかは個人の自由であり秘密でもあります。
その結果、理想はわかっていても、足元の現実や直面する本音に流されることも少なくないのでは。
イギリスのEU離脱、アメリカの大統領選挙はじめ、欧米から報道されることには、こんなことも背景の一部では。
わかっちゃいるけど、やめられね~。
わかっちゃいるけど、どうなのさ。
みたいな。
そして、国の舵取りを任されていたエリートが、庶民の本音を心から理解しているかも重要。
エリートとは反発されるものということを十分知ったエリートでなければなりません。
そんなことを考えて、ふと思うのは、福沢諭吉の偉大さ。
権力と一線を画し、民度を上げることこそ使命と考えたことは、明治維新の登場人物の中で孤高です。
さすがは一万円札。
縁が薄い一万円札ではりますが、今度はじっくりと拝見し、大切に使いたいと思った次第であります。