バリアフリー化が進む最近の駅。
エスカレータやエレベータが適時・適所の設置されています。
以前から気になっていたのですが、
エスカレータはさておいてエレベータに健常者が殺到している風景を見るにつけ何か違和感をおぼえます。
朝などはその混雑・殺到ぶりに本来のエレベータ利用者であるべき方々が気おくれも手伝ってのことか乗りそびれていることも少なくありません。
こういうことを本末転倒と言うのではないしょうか。
これは勝手な解釈・誤っているかもしてませんが、駅のエレベータはそもそもは健常者が便利に使うためのものではないように思うのですが。
話は変わりますが、もうだいぶ前に亡くなった方ですが、明治生まれのご老人から、こんなこだわりをうかがったことがあります。
自治体によって制度が違うそうですが、ある年齢に達すると電車やバスなどの公共機関に無料で乗車できるパスが発行されるそうです。
このご老人は、自分が払えるうちは、無料パスは使わないと、きっぱりとおっしゃっていました。それは、電車やバスを利用する、乗せていただくのだから、年齢に関係なく相応の収入があればお世話になる対価を支払うのは当たり前であり、歳をとったからと言って甘ったれてはいかんという、いわば明治の気骨の表れなのかもしれません。
歳をとったら、時代を支えている若い人の妨げにならないように、なるべく出しゃばらず、道路の隅を歩くべしともおっしゃっていました。
今の時代、年長者への尊敬や思いやりが希薄になりつつあるのかもしれませんが、同時に、年金はじめ貰えるものはとことん貰うといった現役世代への遠慮がない年長者にも問題がありそうにも思います。
そう言えば、この頃、はしたない、みっともない、と言った言葉をあまり聞かなくなりました。
もったいないは、まだ時々聞きますが。
思えば、明治はおろか、昭和も遠くなりにけり。
電気の大切さを実感する昨今、出来る限り階段を使いたいなどと思う秋の駅に見る一こまなのでありました。
写真は名古屋出張のおり、名古屋駅で見かけた名古屋弁を喋る自動販売機です。
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