宮崎、鹿児島県境の霧島山・新燃岳の噴火が連日報道されています。
影響を受けられている皆様には突然降って沸いた災難かと、なんとも申し上げるべき言葉がみつかりません。
火山の噴火は西風の影響が大きいようで、もしも富士山が噴火した場合は、関東地方・首都圏に甚大なる影響や被害がでると思いますと、とても他人事とは思えません。
さて、影響を受けていらっしゃる皆様には申し訳ないのですが、新燃岳(シンモエダケ)と聞いて、頭をよぎったのは、火山ではなく、30年以上前の競走馬でした。1971年~1973年にかけて競馬場を駆け抜けていった1頭の牝馬・その名もシンモエダケ。
1972年の牝馬クラシックレース第一弾桜花賞の一番人気馬なのであります。桜花賞まで12戦8勝2着1回3着1回4着2回という輝かしい戦績、それも牡馬と戦って残した成績に当然の一番人気と言えましょう。その馬名故なのか直線でクラシックレース前の若駒・それも牝馬とはとても思えぬ完成された爆発的な末足魅せていました。小倉デビューのシンモエダケは、寺山修二風に言えば九州からきた関西の天才少女なのでした。
ところが好事魔多しと申しましょうか、桜花賞ではクラシックレース一番人気の重圧が重くのしかかったのか、小回り阪神競馬場に21頭という多頭数がさばききれなかったのか、1.0秒差の7着と馬群に沈んでしまったのでした。
一度挫折を味わった天才少女は2度と1着になることはありませんでした。早熟の天才少女にとって狂った歯車を元に戻す力と気力は残っていなかったのでしょう。5歳の夏(今の言い方では4歳夏)デビューの地・小倉でのレース出走取消を最後に競争生活の幕を閉じました。
一度は注目されたアイドルが次々とあらわれるライバルの中でひっそりと引退して行くような、そんな競馬ドラマであったのかもしれません。
そもそもシンモエダケという馬名が新燃岳に因んだものであったということを30年以上経った今はじめて知ったのであります。
同じ名前で九州という共通点を持つ新燃岳も、一度は爆発させたパワーを同名の牝馬に倣って徐々に収めていただく訳には行かないものでしょうか。
と言うことで、憶えている人は憶えている・知らない人は全く感知しない、シンモエダケのプチ話題なのでありました。
写真は新燃岳の所在地であり、シンモエダケ・デビューの地でもある九州それも北九州の戸畑と若松を結ぶ若戸大橋です。