10月10日(日曜日)の産経新聞掲載記事『日曜日に書く』に共感しましたので書き留めておきます。
先進的な企業ではじまろうとしている英語公用語化の風潮に異を唱えいます。要約しますと、
それはどうみても行き過ぎであり、日本や日本人から何か大切なものが失われはしまいか。
日本人同士が英語で話し合っても最低限の情報伝達はできても、日本語の会話に比べれば著しく情緒に欠け人間味に乏しいものになるに違いなく、互いの信頼関係などどうして生まれ得よう。
言葉は実利のためだけの道具ではない。ビジネス面の効率化しか考えない英語の公用語化は余りにもさもしい発想である。
情緒を身につける成否は国語にかかっている。
会話によってやりとりされる情報には何がしかの「こころ」が伴う。
日本語の会話では特に情が深くなる。「察し」や「以心伝心」といった言わず語らずのうちに感応しあえる思いも豊富であり、人情味ある生きた会話となる。
国語が軽視されることにより人として大切な情操が失われていく。
人心の荒廃は、人間として持つべき感性・情緒を理解する力、情緒力の欠如に起因するところもある。「情緒力とは他人の痛みを自分の痛みとして感じる心、美的感性、もののあわれ、懐かしさ・・・」「この力は自然に身につくものではなく、主に国語教育を通して体得される」
論説委員の清湖口敏(せこぐちさとし)さんの記事です。
まさにその通りではと思います。
効率ばかりを重視や目先の損得に拘るあまり、人間が本来あるべき姿・人間にとって真の幸福な社会とは何かといったテーマが置き去りにされていないでしょうか。
ことに人情や思いやり、社会の調和など、日本人のみが持ち得る良さは、まさに母国語である日本語の中に生きているのです。
ひところ話題になったKYは、ひょっとすると社会風潮への警鐘であったのかもしれません。
また、長年にわたって一つの研究をやり遂げた日本人へのノーベル賞の授与は、今一度日本人の良さを気付かせようとする天からの意図なのでしょうか。
成果主義により混沌として荒廃し疲弊している企業においても大いに考えるべき時にきていると思います。
昨日書きました変わらぬことの大切さに引き続くこととして、少し固いことを書いてしまいました。
そこで、ついでと言っては何ですが、この本をおすすめします。