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石川五右衛門は辞世の句に
『浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ』と詠んだとか。

 

これが、今の時代のそこかしこを見回しますと、
『浜の真砂は尽きるとも世に悪戯の種は尽きまじ』と詠んでも・・・・・
あると思います!!

 

例えば、先日、出張先で見かけたゴミ箱に

 

やせるゴミやせないゴミ という注意書きのあるゴミ箱を発見。
はて、
痩せるゴミ とか 痩せないゴミって、いったい何かと思いきや、

 

燃やせるゴミ燃やせないゴミ の 『』という字をイタズラ小僧が隠してしまっていたのでした。

 

この手の一字違うだけで同じ様な単語が、とんでもない別の意味になってしまうことは少なくありません。

 

高校生の時に、イタズラ小僧に手を焼いた先生が、お説教の中で
『昔の日本海軍では精神注入棒というものがあり、心に迷いがある者を鍛えたものです。今はその様な物騒なことが無い良い時代に皆さんは暮らしているのですから、もっと勉強に集中して下さい』
と諭され、黒板に精神注入棒と書かれて説明されました。

 

さて、休み時間となり、先生が一旦職員室に引き上げられ、あらためて教室に戻って来ると、
先ほど黒板に書かれていた 精神注入棒精子注入棒 と一字書き換えられていました。

 

話題変わって、
現代の原宿や代官山などには、セレクトショップというお店が少なくありません。
路地の入口に『セレクトショップ XXXXX はこの奥』なんて洒落た看板が出ていたりします。

 

これもイタズラ小僧の格好の標的になる様で、
エレクトショップ XXXXX』に一字だけ書き換えられていたりすることがあります。

 

セレクトショップの方は、何で今日はお客さんが少ないのだろうか??などと悩まれることもあるのでしょうか。

 

落語の鋳掛け屋にも同じ様な話がでてきます。
鰻屋のおやじさんが今日はお客が来ないのはどうしてだろうと表に出てみると、
屋の看板が屋に一字書き換えられていたという話があります。

 

昔も今も、世に悪戯の種は尽きまじ、厳しい時代だからこそ、ユーモアを忘れずにいたいものであります。

 

写真は、GWの休日ダイヤのためか、普段は何も無い品川駅の待避線に休む山手線電車です。