第五章|④『MY WAY -J自伝-』特装版 | その女、SLAVEにつき。

その女、SLAVEにつき。

【NO LUNASEA,NO LIFE】という人物が見るLUNA SEAというバンド&メンバー/時々たむ活

2025年8月12日発売■J『MY WAY -J自伝-』

https://www.rittor-music.co.jp/product/detail/3125343006/



J『MY WAY -J自伝-』を先日全て読み終えた。

これを読まずして、そして感想を書かずして、隆一さんの配信も観られないし、なんならたむたむさんとのコラボ再放送も見逃したし、滑り込みチーチーもできなかったんだぜ!




Jさん、ミョウガ事件とか死んだスズメ買わされた事件とか授業中寝て起きたら放課後だった事件どこ行ったよ!!

RYUICHIさんの車の窓ガラス石投げて割った事件は??


「別の機会」って何。

『MY WAY 2』って何なんだい!


まだ語り尽くしてない未来に、夢を見よう。


けど、その前に例のごとく小出し。






第五章 知られざる自分を探し求めて



ONDのキッカケは、メンバーは受け身だったはず。

スタッフさんから立ち上がった話だと我々はあとから聞かされた。

あのLIVEは完全に、残ったSLAVEとスタッフさんの執念で掴み取ったものだと思っている。


あの頃のことは、メンバーもあまり語らなかったし

今になって初めて聞く思いなんてものもある。

そういうのを微塵も出していなかったしな。


ただ、RYUICHIさんの背景で考えるなら

LUNA SEAがジワジワと水面下で動きを見せ始めたのは05年がポイントにはなっていたと思う。

Tourbillonが始まった年だ。

部外者が妙なことを申し上げるようだが、自分の感覚としてはこの頃からRYUICHIさんによるLUNA SEAへのラブコールは強まっていったと思う。

RYUICHIさんには、“ リュウイチ5カ年計画 ”というものが(こちらの妄想の中に)あって

5年毎に様々なことが動いている。


00年 終幕

05年 Tourbillon始動

10年 REBOOT

15年 LUNATIC FEST.

20年 え?もういいって??



救いだったのは、Jが、俺たちは(周りからなんやかんや言われようとも)そこを目指して終幕したのではないと話していたこと。


こんな言い方はアレだが、

そうでなくては困る。

「そりゃそうでしょうよ!」というのがコチラの言い分だ。


LUNA SEAには、会いたかった。求めてた。


だが、戻ること前提の休止というものとは全く別の次元の自決だったのが終幕だろう。

そうでなければあそこまでのステージにもならなかったはずだ。


それを分かっていたからこそ我々は苦しかったのだし

だからこそLUNA SEAに会いたかったのだ。

居ないから。そこにはもう、居ないから。


Jが振り切るように2001年をスタートさせたのは見ていたし

そこからはJの前で「LUNA SEA」というキーワードを出すのはタブーになった。

誰かが禁止したわけでも、Jがヤメロと言ったわけでもない。

ただ暗黙の了解のように、空気を読むかのように我々は口を閉ざした。

Jがどんな思いでそのときを生きていたのかを感じ取っていたから。


だから07年の春になっていきなりJがLIVEで『TONIGHT』をやったときには何かがひっくり返ったような思いがした。


何かが起きている。

Jの何かが変わっている。



けど、LUNA SEAを好きすぎてLUNA SEAを真っ直ぐに見すぎていた自分には

その年のAX5days最終日でJが放った一言に目の前が真っ暗になってしまった。

理解できなかった自分は、LIVE後のアンケートにこれでもかというくらいに酷いことを書き綴った。

あの頃は全てのアンケートに目を通すJがいたことを分かっていた。

だから書いた。

JがLIVEにそのままの自分を写すならば、こちらもそのままの自分で向き合うべきだと思った。

LUNA SEAの曲の中で原曲がJのものをしばらくは聴くことができなかった。

あまりにLUNA SEAにJを求めていたし

あまりにJに、LUNA SEAというバンドへの思いを求めすぎていた。

大好きなJを自分から遠ざけてしまったのだ。

普段あんなに力をもらっていた人に対して何をしているのかという感じだが⋯


昔の自分の拠り所が、終幕後はJのLIVEにあったことだけは間違いない。


そんなこんなで、Jの音楽に対しての自分の思いがグチャグチャになったそのあとどんな心持ちでONDに臨んだのかはあまり覚えていない。


後ほどこのJの本で「何があっても、絶対にくたばんな」の最後の約束について言及があるが、

この辺についても実は言い始めたのは07年からだったように思う。

生粋のJスレさんやPyroさんのほうが記憶は確かだと思うので、「全然違うぞコラ」って感じかも知れないが

そこはそれぞれ探っていただくとして


自分の中では全てのキッカケが2007年に集約している。


しかしまあ、ONDという一大イベントがあって

LUNA SEAのその後は全く決まっていなかったということだが


hideサミは??

そこはどうだったのだろうか。


あのとき味の素スタジアムのアリーナで暴れすぎて自分の指から前方にぶっ飛んだPyroリングがバケツリレーで自分の元に戻ってきたのは奇跡だった。

色んなファンがひしめく中で、これはコイツのもんだ!と皆が送ってくれたその思いが

あのときのリングに収められている。

(というかリングが飛ぶなんて普通に考えて危ないことなので、そこは周りの皆さんに頭を下げたい)



Jが「美しい」「神秘的」という言葉を用いて表現するLUNA SEAというバンドに、Jという人の音楽に、

自分の人生を重ねる。



人生というにはまだあまりにも短い時しか経ていない子どもでも「俺、昔はさ〜」とか言って自分語りを始めるから人間てのは面白い。

そこ自由なんだな。





Jさん、Jさんの音楽はロックでロマンチックで自由で

実に美しいよ。