脳梗塞になってから、
しばらく急性期病院に入院していた。
今でも忘れられない出来事がある。
なので、ここに残しておこうと思う。
当時は常に点滴をしていた。
右腕は完全に麻痺していて動かない。
それでも毎日左手でマッサージをしていた。
いつか動くようになると信じていたからだ。
だから右手に点滴をされるのが嫌だった。
点滴が痛いのか、麻痺した腕が痛いのか、
自分でもわからなくなる。
動かない腕だからこそ、
できるだけ余計な痛みは増やしたくなかった。
当時の私は失語症で、
話すことができなかった。
右手に点滴しようとすると、私は必死に抵抗した。
左手で看護婦さんの腕を払ったり、
顎で左腕を指したり。
「あー! あー!」
声にならない声を出しながら、首を振ったり。
必死に伝えようとした。
今思うと、
まるで駄々をこねる子どものようだったと思う。
看護婦さんも困った顔をしていた。
それでも何度も繰り返すうちに、
「この人は右腕を嫌がる」と理解してもらえた。
左腕への点滴になってからは、
どんなに痛くても我慢した。
新人さんだったのか、
点滴の針を入れられた際は、すごく痛かった。
でも「痛い」と言えない。
「痛い」という言葉が浮かばない。
大学病院だったので学生さんも実習に来ていた。
病棟にはその案内の張り紙もあった。
だから、刺すのが苦手だった人は
学生さんだったのかな、と今では思う。
ある日から、点滴の針が刺さってる
左腕が異常に痛くなった。
ご飯が食べられないほど痛い。
夜も眠れないほど痛い。
伝わらない。
私が何を訴えているのか誰もわからない。
看護婦さんも私がどうしたいのかわからない。
次第に、「可哀想な人を見る目」で見られているように感じた。
点滴を嫌がっていると思われたこともあった。
ある時、強く言われた。
「点滴は必要なの!」
「わがまま言わないで!」
リハビリで伝えたくても、伝わらない。
おかしいって誰も気づいてくれない。
何も伝わらなくて、無力で。。。
数日後には、痛みが耐えられないくらいになった。
ナースコールを押した。
看護婦さんが来てくれた。
「トイレ?」
首を横に振った。
でもそれ以上はすぐには伝えられない。
看護婦さんは私の相手をするのは時間がかかる。
と思ったのか、
「他の患者さんの対応をしているから待っててね」
そう言ってカーテンが閉められた。
右腕は麻痺で動かない。
左腕は点滴が刺さってる。
指差すこともできない。
話すこともできない。
本当に絶望的だった。
他の対応で忙しいみたいで、
再び看護婦さんがくる気配はない。
次第に痛みの感覚が強くなって、
ついに我慢出来ないくらいになった。
でも泣く事しか出来ない。
1時間後、リハビリの時間になったようで
再びカーテンが開かれた。
私は異常なくらい泣いていた。
過呼吸気味になっている私を見て、
リハビリの先生が急いで看護婦さんを呼んでくれた。
そこでようやく異変に気付いてもらえた。
「あれっ!?」
「なんか左腕腫れてない??」
「痛い??」
うん。うん!!と、
大きく何度か頷いた。
液漏れを起こしていたようで、
保冷剤で冷やすよう説明された。
看護婦さんに触れられるだけでビリビリ痛む。
左腕が腫れて腕も曲がらない状態。
動かさなくても痛い。
後からナースコールで呼んだ若い看護婦さんが
申し訳なそうな顔で、謝りに来てくれた。
私はその時も何も言えなかった。
(怒っていない。って伝えたくて、
優しく、うなづくしか出来なかったけど。)
左腕の腫れはなかなか引かなかった。
保冷剤でひたすら冷やす日々を繰り返した。
点滴を刺した時は問題なかったけれど、
私が動いた拍子に針がずれてしまい、
液漏れを起こしたのではないかということだった。
(真相はわからないけど…)
液漏れの原因に心当たりはあった。
体の右側をマッサージしたり、右側を動かそうと、
左手はいつも以上に頑張っていたから、
思い当たる節がありすぎて![]()
液漏れ事件が発生しても、私は左手を使い続けた。
「右側はきっと動くようになる」
そう信じていたからだ。
だから動く左手には頑張ってもらうしかなかった。
その結果、また左手を酷使して液漏れを起こし、
今度は左手まで思うように動かなくなって、
また冷やすことになった。
結局、液漏れ事件は1ヶ月の間に2回も発生した。
失語症だった私は、
異変をうまく伝えることができなかった。
それが何より苦しかった。
私は心の底から思った。
「話せないと危険だ」
痛いことを伝えられない。
苦しいことを伝えられない。
助けてほしい時に助けを求められない。
それがどれほど怖いことか、身をもって知った。
だから私は必死だった。
早く話せるようにならなきゃいけない。
また同じことが起きたら困る。
また痛いのは、苦しいのはイヤだ。
なんとかしなきゃいけない。
この出来事があったからこそ、
私はリハビリに必死になれたのだと思う。
あの時は途方もなく遠く感じていたけれど、
今の私はこうして自分の体験を文章にして残せている。
あの日、伝えたくても伝えられなかった
「痛い」は、
ちゃんと誰かに届くところまでこられた。
最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。
