記録の為に残そうと思う。
当時、診断されたのは
右半身麻痺
失語症
高次脳機能障害あり(注意障害)
どれも信じられなかった![]()
4年前、
私は脳動静脈奇形(AVM)の手術をした。
頭の中のもやがかかって、目が覚めた。
ぼやけてて見えない(メガネをしたら見えました)
右半身が動かない。
喋れない。
点滴やら、心電図を図るやつやら
いろんな線に繋がってて、寝返りもうてない。
なんだか、腰や足が固まってるような気がして、
体を動かしたいのに、なぜか思うように動かない。
ICUに入って、
時間がどれぐらいたったのかすらわからない。
今が昼なのか、夜なのかすらわからない。
今何時ですか?
私はどうなったのですか。
聞きたい事はあったのに、何も聞けない![]()
酸素マスクで呼吸を補助されてた。
マスクはあったけど、声が出せないわけじゃない。
でもしゃべることができない![]()
あ。。あぁ。。
う。。うー。。
。。。。。。。。
声をだしても、「あ、う」しかでてこない。
起きてしまった事は変わらない。
現実は容赦なく事実として変わらない事を知っている。
上手く回らない頭、すぐ忘れてしまう頭
上手く考えがまとまらないもどかしさ。
食事の時にだけ明かりがつけられ、
ベットの機能で自動で上体を起こされる。
口を開けて、ゆっくり飲み込む作業を繰り返す。
後は動けないので、ほぼ寝ていた。
そうしてどのくらい時間がたったのだろう。
酷い高熱で、意識はあったが常にぼんやりしてた。
ICUから出て、一般病棟に戻される日
旦那様と電話を繋いでくれた。
私は失語症になって、喋れなくて。
「よく頑張ったね手術!!」
と旦那様に声をかけられた記憶がある。
でも
「あー。………あ。…………あぁ……」
(しか話せなくて。。。。。
喋れない!!という事実が、
絶望感が私の中でいっぱいになっていった)
私の家族と会社への連絡などの
話してくれてたと思うけど、
全然理解できなかった。
わかったのは、
「全部やっておくから、何も心配しないで」
「ゆっくり休んで。治療に専念して大丈夫」
と言う言葉だった。
そして、4人部屋に案内されたのだけど、
1人は喉にチューブが入ってて、食事もとれない方。
1人は、あー。あー。あ、あぁー。と絶えず声を発生してる方。
1人は、たんの吸引をしている方。
男の方が3人いる部屋で、
私はこんな状態なのかと客観的にみて、
自分の置かれている状況に心が冷たくなった。
話せなくなった私だから、
動けない私だから、
仕方ないのかな。。。
そぅ思ってた。
しばらくして手術前に
元気だった私を知ってる看護婦さんがきて、
女性の部屋がいいよね。と声をかけてくれた。
首は動いたから、大きく何度も頷いて、
女性だけの部屋に移動してくれた。
あー。あー。あーーー。
と絶えず意味の成さない声を出している方とは、
一緒の病室は気分が滅入るので嫌だと思ってたので、
正直ありがたかった。
車椅子じゃないと移動できない。
何をするにも看護婦さんが必要で
1人では何も出来ない。
毎日「痛い」と言いたくても、
「い、た、い」と発音する方法がわからない。
何か思っても、全然伝わらない。
うなづくか、首を横に振る事しかできない。
でもその時の事を、私は覚えている。
なんて言われたかとか、喋れないけど、
感情は確かにあって
人間として扱って欲しいと思ってた。
喋れないけど、
うまく動けないけど、
その時の思いとか記憶はあって、
普通に生きてる。
喋れないからって…、
何も思ってないわけじゃない。
ただまとまるまで時間がかかるだけ。
時間がかかっても、まともに喋れないとしても、
がっかりしないで。
何か話かけられても、
あっ!どうせ話しかけても、喋れないか。
って言われるのが、苦しかった。
意味ないなんて言わないで。
話をしてもらって、ただ聞くのは出来るから。
無駄じゃないから、そんな言い方しないで。
そんな事すら、いえない日々が辛かった。
全部、当たり前じゃない…。
を知った。
なんて尊いものなのか
思い知った。
特別だったって。
思えた…。
普通の日々が、
とても尊くて、
大切にしようと
思った。
私が、もしくは大切な人が、
明日、今日と同じ体でいられる保証なんてない。
ただ漠然と、この平和な日々が続くものと思ってた。
でも約束されたものではない。
いつ壊れてもおかしくないんだ。
だから今日も感謝をする。
自分が満足する1日で終われることを。
大切な人と過ごせる事を、
ご飯を食べたり、話したりできることを。
この当たり前の日々に。
ありがとう。
と伝えたい。
読んでいただきありがとうございました。