こんにちは。溢 恥之介でございます。
最近やっっと気づいたんですけど、僕はたぶん無類の自分好き野郎なんだと思うんですよ。
ツイッターやブログでやかましいのはすげー自分語りが好きだからだし。人からどう見られるかなんて気にしまくってるのだって自己保身のためなわけだし。絵を描いてもオリジナリティって単語に固執しちゃうし。
前々から分かっていましたけど、認めるのが怖かったんですよ。
だってさぁ……
アドヴァンテージになるような優れたルックスをお持ちの方が「自分が好きです!」って言ったら清々しいけれど、僕はその……アイドルさんのようなね、美で勝負するビジュアルではね、やらせていただいてない側なのでね……。
鏡は家にありますけれど、それは物体を媒介して見たものにすぎないわけじゃないですか。
テレビ画面に映ったタレントさんと同じですよ。よくありますでしょう? タレントさんを街中で見た方の感想で、「テレビで見るより可愛い!」「テレビで見るよりブサイクだった」なんてこと。
(前述の通り僕は、優れた美とは異なる側のビジュアルを持たせていただいている輩なので、タレントさんで例えていいのかは分かりませんが……!)
要は誰かと魂を入れ替わってしまわない限り、僕は僕の顔を見ることなんてできません。
まあそもそも、僕の周りの人が僕の顔を真に見たことがあるかと言えば、怪しい部分はありますけれどね。
僕のビジュアルとはそもそも何なのか。
頭部にあたる部分に存在する骨と筋肉と皮の集合体だけを「顔」と言っていいのだろうか?
僕がこんな風に考えるのには理由がある。
解離性同一障害(いわゆる二重人格・多重人格)のユーチューバーであるHydeさんは、自身についてこう語っている。
『本当の俺はこんな高い声をしていない』
Hydeさんは、うささんという女性の裏人格にあたる男性。つまりボディーはもともと女性(=うささん)のものなので、肉体を共有するHydeさんも、それに伴って高い声を有してらっしゃるのだ。しかし前述の通り、「本当の声」はもっと低いとおっしゃっている。
このことから、我々がYouTubeチャンネル等を通して拝聴できる声、あるいはイベントで直接お会いして拝聴できる声は、Hydeさんの真の声ではないのだと分かる。
Hydeさんに限らず、他の解離性同一性障害の方も、表出しているビジュアルは自分のビジュアルでないと証言する方もおられると聞く。
例えば50歳の女性の中に6歳の男の子の人格がいたとしたら、その男の子は自分の本当のビジュアルを「中年女性です!」とはなかなか言わないのではなかろうか。「年相応の男の子」と紹介するほうが自然なように僕は思う。
つまり真の見た目や声というものは、実際に表出する「形」によって定まるものではないと言えるのだ。
さて僕の「真の形」とは、果たして僕の周りにいる人がみているものと同じだろうか?
正直僕も、「僕の真の形」は知らない。
見たら誰もが嘔吐せずにはいられないほど醜いのかもしれないし、誰もが手をあわせて拝まずにはいられないほど美しいのかもしれない。
「美しくない者」が自分自身を好きなどと言う様は、やはり一般的には受け入れがたいことなのかもしれない。
でも僕は美しいかもしれないし、醜いかもしれない人間なのだ。あるいは美しくもあり醜くもある人間なのだ。
真の僕はどちらなのか。それは扉を開けるまで証明はできないし、扉を開ける鍵はきっと誰も持っていない。
だったらいいじゃないか。
僕のような者が、自分を好きだと言ったって。
最近やっっと気づいたんですけど、僕はたぶん無類の自分好き野郎なんだと思うんですよ。
ツイッターやブログでやかましいのはすげー自分語りが好きだからだし。人からどう見られるかなんて気にしまくってるのだって自己保身のためなわけだし。絵を描いてもオリジナリティって単語に固執しちゃうし。
前々から分かっていましたけど、認めるのが怖かったんですよ。
だってさぁ……
アドヴァンテージになるような優れたルックスをお持ちの方が「自分が好きです!」って言ったら清々しいけれど、僕はその……アイドルさんのようなね、美で勝負するビジュアルではね、やらせていただいてない側なのでね……。
そういう「美でない側」の人間がナルシズムを前に出すのはみっともないと、正直ずっと思っていた。
でも考えてみれば僕、そもそも自分の顔を知らないんですよ。
※「そもそも」なんて接続詞を使った時点で鋭い方はお気づきになるかもしれませんが、ここからさらなる理屈こねくり回しパートが始まります。
鏡は家にありますけれど、それは物体を媒介して見たものにすぎないわけじゃないですか。
テレビ画面に映ったタレントさんと同じですよ。よくありますでしょう? タレントさんを街中で見た方の感想で、「テレビで見るより可愛い!」「テレビで見るよりブサイクだった」なんてこと。
要は誰かと魂を入れ替わってしまわない限り、僕は僕の顔を見ることなんてできません。
まあそもそも、僕の周りの人が僕の顔を真に見たことがあるかと言えば、怪しい部分はありますけれどね。
僕のビジュアルとはそもそも何なのか。
頭部にあたる部分に存在する骨と筋肉と皮の集合体だけを「顔」と言っていいのだろうか?
僕がこんな風に考えるのには理由がある。
解離性同一障害(いわゆる二重人格・多重人格)のユーチューバーであるHydeさんは、自身についてこう語っている。
『本当の俺はこんな高い声をしていない』
Hydeさんは、うささんという女性の裏人格にあたる男性。つまりボディーはもともと女性(=うささん)のものなので、肉体を共有するHydeさんも、それに伴って高い声を有してらっしゃるのだ。しかし前述の通り、「本当の声」はもっと低いとおっしゃっている。
このことから、我々がYouTubeチャンネル等を通して拝聴できる声、あるいはイベントで直接お会いして拝聴できる声は、Hydeさんの真の声ではないのだと分かる。
Hydeさんに限らず、他の解離性同一性障害の方も、表出しているビジュアルは自分のビジュアルでないと証言する方もおられると聞く。
例えば50歳の女性の中に6歳の男の子の人格がいたとしたら、その男の子は自分の本当のビジュアルを「中年女性です!」とはなかなか言わないのではなかろうか。「年相応の男の子」と紹介するほうが自然なように僕は思う。
つまり真の見た目や声というものは、実際に表出する「形」によって定まるものではないと言えるのだ。
さて僕の「真の形」とは、果たして僕の周りにいる人がみているものと同じだろうか?
正直僕も、「僕の真の形」は知らない。
見たら誰もが嘔吐せずにはいられないほど醜いのかもしれないし、誰もが手をあわせて拝まずにはいられないほど美しいのかもしれない。
「美しくない者」が自分自身を好きなどと言う様は、やはり一般的には受け入れがたいことなのかもしれない。
でも僕は美しいかもしれないし、醜いかもしれない人間なのだ。あるいは美しくもあり醜くもある人間なのだ。
真の僕はどちらなのか。それは扉を開けるまで証明はできないし、扉を開ける鍵はきっと誰も持っていない。
だったらいいじゃないか。
僕のような者が、自分を好きだと言ったって。
何もおかしくないだろう?
そんなめんどくさいクソナルシの僕が好き勝手に書いているのが僕のこのブログです。
好きな作品のどこが好きかをひたすら語りたい。
僕は僕の「好き」を追求したい。
だって、好きな人の好きなものって知りたいじゃないです。
そんなめんどくさいクソナルシの僕が好き勝手に書いているのが僕のこのブログです。
好きな作品のどこが好きかをひたすら語りたい。
僕は僕の「好き」を追求したい。
だって、好きな人の好きなものって知りたいじゃないです。
ふっふっふ。
こんな僕ですが、これからもよろしくお願いいたします。
こんな僕ですが、これからもよろしくお願いいたします。
*人格解離研究所(Hydeさんの多重人格解説用チャンネル)→【https://m.youtube.com/channel/UCKjraIrCjlG990u1E26gnzA】
*Hydeチャンネル(Hydeさんの日常)→【https://m.youtube.com/channel/UCz6_6L-AoeprpiIi44Mzqmg】
