前回綴ったのは祖父が亡くなった時のブログだったが、まさか次のブログが父との別れを書く形になるとは思いもしなかった。


胃腸炎休み明け会社勤務の中、父に連絡が繋がらないと妹より連絡。

長崎にいる父にすぐ会えるわけもない中で、叔母に見に行ってもらったところ、既に亡くなった父がいたという形。


まだ警察の確認は終わってないが、十中八九事件性はないだろうとの見解。


‥と、自分でも驚く程、今淡々と綴れている。

それはずっと物理的に会えない事が当たり前になっていた事。

そして、決して健康ではない父がこういうライフスタイルを送っている以上、いつかこういう日がやってきてもおかしくないと思っていた事もあったと思う。



物理的に対面出来るのはおそらく月曜か火曜。

その時感じる気持ちはきっと今とはまた違うと思い、今綴っている。


そんな冷静な状態にある今の僕においても、今日一つだけ涙が出そうな瞬間があった。

それは"親子"を感じた時。


今日は喪主としてあたふたする僕を労おうと妻ご両親宅で晩御飯を頂いた。

当然気にかけて頂いたのは有難いし気は紛れたが、義父義母と話せば話すほど"あー本当に俺の実父はいなくなってしまったんだなぁ"という思いが強くなった。


そして、それは子供達もそう。

子供達を抱き締める自分がいて、ああ俺がこの子達の唯一の父親なんだよなと感じ、一方でこの子達にとって2人しかいない祖父の内の1人はもうこの世にいないんだよなぁという寂しさも感じ、目が潤んだ。


この寂しさが、物理的に父との距離が縮まる事でおそらくより強くなるのだろうと思う。


なんにしても、とにかくはえー。

"63は早すぎるだろ、お父さん"と空に向かって叫びたい気分。


でも何だろう、死因はまだ分かってないんだけど、おそらく本人は死んだ事にも気づいてないような気がしてならないんだ。

だからしっかり成仏、供養してやらないと。

しっかり送ってやらないと。


それが自分が今一番思ってる事。


全てを終えた来週、自分が何を思うのか。

先ずは父の為に出来る事を最大限やりたい。


2/8、自分にとって親にも等しい存在であった祖父がこの世を去った。

その日から2週間が経った。
中々思い立たず書くことが出来なかったが、心身共に落ち着いてきた今、綴ろうと思う。

それまで熱ひとつ出さず健康そのものな生活を送り続けてきた祖父に異変が出だしたのが昨年11月。

当時は熱が上がっては下がっての繰り返しで風邪に対する免疫が寄る年並みに落ちてきたのかなと思いながらの日々だった。
それが身体が痛いと言い出し、年末には食事も喉を通らない状態まで弱ってしまった。
ただごとじゃない匂いも出てきた中で忘れもしない12/24。
営業移動中に母から癌、リンパ腫かもしれないとのLINE。
33年目のイブがこれほど衝撃を受ける事になるとは夢にも思わなかった。

年末年始もほぼ食事できず寝たきり。
元日、佐世保から上京してきた父を想っての事だろう。
"何とか生きてます"と言いながら、ビールで乾杯。
一口つけただけでかなりむせてそれ以降飲むことはなかった。

思えば祖父はいつもそうだった。
自分より他人。しかも自分への見返りは全く求めていない。
愛しかない人であった。
だからラグビーの仲間であったり、妻や妻の友人誰に対しても出会えたことへの喜びを表に出し、迎えてくれる人であった。

妻にすら"貴方は人に関心がない"と言われる私にとってその祖父の所作はただただ尊敬の念を覚える事だった。

通っていた近場の病院から紹介状を書いてもらい、大病院での精密検査がスタートしたのが1月上旬。
そして、私が仕事の合間に同席し、即入院が決まった1/19。
この日、正式に病名が明かされた。
終末期の悪性リンパ腫。
病院嫌いで断固入院拒否の姿勢で検査結果を聞きに行ったが、入院しなかったら今日死んでもおかしくないと言われ入院が決まった。
そこで親族にのみ明かされた余命2週間。
どんなに堪えても溢れ出る涙を抑えることができなかった。

そこから顔色が戻っていき、3-4日入院の後の週末退院を目指していた矢先、胃に穴が開いたとの報。
これもリンパ腫の悪さだったらしく、更に一週間の入院延長。
しかし、これは余程の痛みだったのか祖父も入院延長に納得。
それからの入院の日々は本人にとってとても長いものであったと思う。
また、気遣い屋で病院慣れもしていない祖父は看護師を呼び出す事も気が引けていたようで、相当我慢もしていた様である。
思えば、入院した日の採尿を手伝っていた時も、自分の手違いで泡が出過ぎて汚れた洗面台を綺麗に洗ってからトイレを出た。
今日死んでもおかしくないという体調の人がである。
この人はどこまでもこういう人なんだなぁと不謹慎ながら笑ってしまった。

胃に穴が開きながらも緩和処置を行い、2/1に目標であった退院、自宅療養を達成。
本当に頑張って成果を出した。凄いという一言に尽きる。

そして、2/3。もう一つの目標であったひ孫、つまり私の長女、長男との再会。
特に心底可愛がっていた長女との再会は本当に嬉しかった様で、目を大きく開き手を握り笑顔を振る舞っていた。
元気な姿を見て、これは祖父が見たいと言っていた長女の幼稚園制服姿(4月入園で、3月に制服届く予定)を見る事も叶うのではないか?
それ位長女と会った後の祖父は顔色も声も回復基調であった。

しかし、終末期というものはそう甘くはなかった。
2/5金曜から急激に弱りだし、ほぼ寝るケースばかりになった。
最後の週末となるかもしれない予感もあり、土曜に家族で祖父母の家に宿泊する事に。
土曜昼間まではほぼ寝たきり。
そんな祖父が長女の姿を見せた瞬間に再び目を開き笑顔を振る舞った。
明確に意識を持って対話したのはこれが最期であった。

夜が明けても眠りから目を覚ます事はなく、無呼吸の時間も増えていった。
そして、2/8 9:43、祖母に看取られて息を引き取った。87歳。
おそらく最期まで生きることを止めず戦い続けた祖父の人生が終わりを迎えた。

私の中では宿泊を終えた2/7がもう祖父と生きて会えないだろう、或いは生きていても会話する事は叶わないと覚悟した日だったのだろう。
そして、それは妻も同じで2人で今迄無かったほど大泣きした。
淋しい。ただただその気持ちであった。

2/11建国記念日に葬儀、告別の儀を行った。

今もまだ祖父がいないという実感が湧かないのが正直なところ。
祖父母の家に行けばいつもの様に2階から降りてくる姿がまだ目に浮かぶ。

しかし前を向いて生きていかねばならない。
まだ傷心の祖母を支えて生きていかねば祖父は安心して成仏出来ないだろう。
遺された者の戦いというものを、私は今人生で初めて経験している。

きっと次は長女の入園式でまた祖父の顔が思い浮かぶ事と思う。
この景色を見せたかったなと。

それでも、今は祖父の無念よりも戦い続けた日々をただ称えたい。
そして、そんな強く優しい祖父に長い年月共に過ごし育ててもらった事に感謝したい。

これからこういう別れが幾度となく訪れる事だろう。

それでもその人との出会い、過ごした日々を噛み締めながら生きる事が弔いとなり、自分を更に昇華させるきっかけになると思う。
だから前を向いて毎日をまた生きていく。

最後に祖父が体調悪化する前まで書いていた日記の最期の綴りを。


本当に不器用だけどカッコいい人だと心の底から思う。

そんな祖父を心の中でいつもそばにいてくれると思いながらこれからの日々を歩んでいく。

色々な流れもあって久々に1人串工房。
ただし日吉でなく溝の口。
ただ、レバーうめー。
くしこうハイ、つぶつぶぶどうハイうめー。
クオリティ変わらず信頼に応えるって素晴らしい。


1人飲みの良いところは期近な所で自分が感じた事、どうすべきかを整理できる所。
気がつけば仕事の事を考えていた。

この半年、ターゲットとしていた事に対して一定の成果が出た事で
劇的に社内での空気感が変わった。
人から絡まれる機会が増え、様々な相談を受けるケースが増えた。

その事実を踏まえて思う事。

サラリーマン、過程よりも結果が大事だ。改めて。

恥ずかしながら11年目を迎えた今日迄、結果至上もどうなのか、自分がどういった姿勢で取り組むかが大事なのではないかと心のどこかで思っていたが、そんな事はない。

結果だ。
結果が周りを変える。
周りからの自分の見られ方が変わる。

結果が出てから、本当に色々な会議にお呼ばれするようになった。
そして、頼られるようになった。

更に不思議なのは相談された時のために様々な事に耳を傾ける様になった。

環境が人を変える、と言うがつくづくその通り。

この半年で自分を取り巻く環境は本当に変わった。


ただ、ここで何故綴ったか。


それは1つ。
間違った方向に行くなよニイラ、という事。

相談される機会が増えた=傲り、からの現状満足が1番まずい。
これは高校大学のラグビー生活で痛感してきた事。

もっともっと、相談されていることを、ひいては当社のパフォーマンスそのものを俯瞰して見ろという事。

何が会社として足りていて、何が足りないのか。

ここを見誤ると、今自分がほんっとうに頼りないなぁと思っている上の連中と同じ道を歩んでしまう。


自分の愚かさに気付かずに生きていくのが1番幸せであり、
1番愚かであると最近痛感する。


頼りない上がいるこの環境が、今の自分を育ててくれた。
その環境に感謝するくらいの気持ちで(というかそれが結構大きな理由の一つだと思う)、足並みを揃えることなく突き進みたい。


つまるところ、結局ベクトル自分、という事。

やんぞやんぞ。
まだまだやんぞ。

自分だから出来たという実績を必ず積み重ねていく。

それにしても串工、手打ちそばも美味いやん。
良い流れできた。
レバー→串工房巻き→せいろ
良い継投策の完成!
今年初めてのブログがこんなタイトル、こんなタイミングになるなんて。

想像しなかった日々を過ごしてるわけなんだけど、逆に言えば今までに無い道を歩いている中でこのタイミングがターニングポイントになる気もして。

ブログの1番のメリットはその時の自分の感情を収められる事だと思うので書いておくべきかなという事で夜な夜な久々に思いのままに綴ります。

31日までの延期が決まり、ほぼ2ヶ月ステイホームな時間を過ごす形になったのですが、ホント良い部分悪い部分あると思う。

良い部分は何よりも子供の日々の成長を間近で見られる事。
子供の成長力は本当に凄い。
わからなかったことがすぐ分かっていく。
親にも分からない視野の広さ、気付きを持つ繊細な長女。
対照的にぼんやりニコニコ時々号泣と意のままに生きる長男。(まだ0.5歳なので当然か)
日々の生活の中で彼等との対話の時間は間違いなく増え、それはストレスも比例して増える事でもあるのだけど、"今しかない"を噛み締められる事でもあり幸せという感情に帰結する。

一方、悪い部分はやはり仕事。
営業という立場にいる以上、人に会えないというのはかなり致命的である。
未曾有ともいえる経済不安を抱えている中で、無理難題を突きつけられる。
それに抗うにせよ従順に動くにせよ、対面で話せないというのは心と心を通わすにはあまりに弱い。

大企業が資本力を武器に中小企業に圧をかけていく。
この縮図が今後至る所で出てくる予感がする。

自分の今の立ち位置で何が出来るのか。
性善説で行動をとることはこの局面おそらく無理。
いずれにしてもやれる事をやるのみだな。

マスコミは今回のコロナ沙汰を働き方を変える契機というが、
今のところ自分の中ではオンライン会議などを主とした動き方が正しい!とすっと落ちてこない。
寧ろ、個人的には人と会うことの重要性を感じる日々になっている。
一回一回の面談を無駄にしちゃいかんよねと再認識する時間になっている。

オンライン飲みもゼロではないがほぼやっていない。
個人的な所感でしかないがゴールのない会話は何とも難しい。

人はやっぱり限られた時間の中で同じ空間で思いを共有するからこそその時間に価値を覚えると感じる。

今の時世で人に会う事を推奨するのではなく、
収束後如何に人と会う事を貴重に感じられるか。

会わなくても繋がるから大丈夫、じゃなく会える時間を大切にしよう。
こっちにベクトルが向くべきではないだろうか。


‥さて、これから先何が起こっていくだろう。

既に五輪延期という誰も予想しなかったことが起きている中で想像つかないことが起こる可能性はドンドン出てくると思う。

ただ、その経験をしっかり留めながら自分の成長に繋げていくのみ。
長女長男に負けないように。
彼等が素晴らしい人生を送れるように。

前向いていくしかない。



2019年8月24日。

12年前、夏合宿の試合でスクラムが落ちた時に頚椎損傷という大怪我に遭った杉田と100名程の先輩同期後輩と共に人生初の富士登山にチャレンジしてきました。

あの当時自分は大学2年。
膝の手術から約1年。術前のスピードが戻らず、苦しんでいた時期に彼の怪我を山中湖で知り、毎日ラグビーをやれる事に先ずは感謝、と自分を正された記憶がありました。

当時から12年。
この日を迎える為の彼の計り知れない精神力と努力にはたとえ後輩であろうと尊敬しかない。

ほぼ運動していなかった自分の責任とはいえ、富士登山は想像を超えてめちゃくちゃしんどかった。
終盤は酸素の薄さを直に感じる程苦しい環境だった中でどうにか登りきり、彼を頂上から待ちました。

杖と仲間の手を借り、一歩一歩確実に目標に近付く彼の姿を見られた事。

最後の数十歩、自らの力で歩き切りゴールした瞬間。

自分のこれまでとこれからの人生を思い返しても中々味わえないような特別な気持ちを味わい、ゴール後には涙が止まらなかった。

ゴールまでの数十歩、物凄いスピードで大学四年間の思い出が自分の脳を駆け巡り、今当時の仲間と日本一の山に共に辿り着こうとしている。

自分はやはり掛け替えのない時間と仲間をラグビーを通して見つけられたのだ。

この素晴らしい仲間がいて、今の自分があるのだ。

色んな感情が巡り巡ったひと時でした。

この日を迎えるまで目標に邁進し続けた杉田は勿論、
その準備を進めてくれた111代の皆、
関わってくれた先輩後輩、コーチの方々、
引越しも近い中、今回の件を聞き快く送り出してくれた家族にも
みんなに感謝。

ここで得た経験を力にどう生きていくか。

この素晴らしい経験を無駄にせず、
この日一緒に登った気持ちを大切に生きていきます。

本当にありがとう。

 #杉田富士登山計画 #foreverfriends #kurfc
久々に筆を取ります。

今月末で娘も生後半年。
首も座らず、持つことすら怖かったところから
今や顔をバシバシ叩かれ、ニコニコ微笑まれるという成長ぶり。
例年通り、今年も時の流れの早さを感じます。

さて、そんな娘の生誕とほぼ同じく、今期のサンウルブズはスタートしました。

始まりのブランビーズ戦。
今思えば、この時勝っていたら今と戦績は全く違ったのではないかと考えてしまう。
そう思うほど初戦として勝利まであと一歩という試合だった。

あの時はブランビーズ相手にこの戦いぶりだったら、今期の初勝利は遠くない。
そう思っていたが、そこからまさかの9連敗。

この敗北の中にも、前年の準チャンピオンであるライオンズをアウェーであと一息まで追い込んだグッドゲームはあったが、結果は中々ついてこない。

悔しくて悔しくて自分も含めて狼ファンにとってこの期間は本当にシンドかった。
選手はもっと辛かっただろうが。

個人的には
"もう後がない、ここの勝ち負けが19年のW杯の盛り上がりに繋がる"
とすら思っていたのが、初勝利を挙げたレッズ戦。娘の現地ラガールデビュー戦でもある。

これまでの鬱憤が爆発したかの様な大勝。
勝利時の少年やお姉さんの熱い涙は忘れられない。

そしてもっと高まったのが翌ストーマーズ戦。
この試合を今期のハイライトに選ぶ人も多いと思う。
自分にとってもサンウルブズ史上のベストゲーム。

ラグビーの試合で涙を流したのは15年W杯南ア戦以来。

自陣に差し込まれ、明らかに反則待ちのストーマーズ相手に我慢のディフェンスを続け、ジャバのジャッカル。
からのパーカーの正確無比なけんきへのハイパント。

繋いで繋いでパーカーのDG。

このラストプレーにサンウルブズというチームの魅力が詰まっていた。

どんなに苦しくても規律を守り、仲間を信じ、一歩一歩前へ進む。

そのひたむきさが我々の心を掴むのだと思う。

これまでの"勝てそうで勝てない"という狼の嫌な伝統を打ち砕いた試合でもあった。

この経験がウィンドウマンス明けのブルズ戦でも現れた。
自分達のミスでズルズルいくかと思いきや、粘って粘って逆転勝ち。

もう少しシーズンが長ければと思わせてくれるチームになった。


結果としては昨年からプラス1勝の3勝。
5位という目標は遥か遠い。
やはりスーパーラグビーは甘くない。


しかし、19年へ向けて楽しみな幕引きになったのは間違いない。

来年も夢をのせて彼らを応援します。
そして、最高の形でワールドカップへ臨みたいな!

因みに今期のMVPが昨日発表されたけど、
リトル、パーカーの2人は間違いない活躍だった。

特にリトルは最初変わった髪型のセンターくらいにしか思ってなかったけど、今やペネトレイターとして欠かせない存在に。

ダイナボアーズからTLへ栄転しないのかな?

あとは、前半戦のMVPであるラピース、泣ける運動量はトンプソンを彷彿とさせるハッティング、いつもメンバー入りしてムラがないクレイグミラー等毎年の如く愛着を持ってしまう選手が多々現れた。

日本代表でも姫野は勿論、徳永や具といった選手もかなりの成長曲線を描いたと思う。

ラピースもジャパン候補に入っている今、三列のメンバー争いは過去最高のレベルの高さにある。

来期のサンウルブズメンバー=19年W杯メンバーに最も近い男達となるであろう中で、
試合数は少ないが今期のトップリーグもこれから目が離せない。

ラグビー熱はここから更にヒートアップへ。

今年も年初からラグビーおじさんとして楽しい日々を過ごせて本当に幸せでした。

19年へ向けて元ラガーマンとして、1人のファンとして出来る事は何なのか?
模索していきながら日々過ごしていきます。

取り敢えず、選手や関係者の皆様、本当にお疲れ様でした!
娘と過ごす時間を経験すると、毎日が成長、という言葉をより深く噛み締める。

大人になってもそういう時間の過ごし方をせねば‥。

それにしても翔タイムさん凄いな‥‼︎
1/25は私のこれからの人生において、
とても大切な1日になりました。

初めての子となる娘が今日、誕生しました。

この日を迎えるにあたってはハプニングの連続。

風邪が数日続き、熱っぽい身重の妻と同行すべく半休をとった24日。

その最中、着替え中に妻の破水を確認。

内科、耳鼻咽喉科を検討してたところから
一気に産婦人科の病院へ完全シフト。

が、着いてからは陣痛を待つひと時。

と、生まれた日に頑張ってここまで書いたんだけど、
眠過ぎて落ちました。

端的に言うと、其れ位長い出産ロードだったということ。

子供が欲しいと妻と言い始めてから2年超。

娘が長い旅を経て無事に生まれてくれたことは
何物にも変えがたい幸せな出来事でした。

そして、体調不良の中、途中8度超の熱を出しながらも
陣痛から22時間ハードワークし続けてくれた妻にも大感謝。

実はお産に時間がかかった中で、娘にもかなり負担がかかったみたいで、
生まれた直後はあまり泣きもせずひたすら苦しそうで心配なシーンもあった。

そんな中、妻も娘も今は無事に健康に過ごせていることは本当に幸せな事。

無事に家族3人になれて本当に良かった‥。


だから、この1/25は当然娘の誕生日ではあるのだけれど、
俺の中では2人に感謝する日。

毎年この日を迎える度に、家族という存在、2人に有り難みを覚える。
そんな日々を過ごしたい。


それにしても娘が本当に可愛い。
自分の子供ってこんなに可愛く感じるのかと驚くレベル。

どこにも嫁に出したくない‥笑


昨日の帝京戦。

月並みな言い方しか出来ないけれど、ただひたすら感動して観てました。

後輩達の試合でここまで魂を揺さぶられたのは久々だったかと。 

最後は屈してしまったけど、
これからの時間で覆せる差だと思う。

迷いのないラン。
ひたむきなタックル。
諦めない姿勢。

OBとして、奮い立たせられました。
勝手ながら現役の時に我武者羅にやってた気持ちを少し思い出せたというか‥



早稲田相手にもイイ戦いをしてくれると期待しています。

心の底から応援してます!

大学日本一になってくれ!

人生で一度あるかないかの出会い、経験をさせてもらった。

非常に濃ゆい1週間だった。
色々な外的要因に理由を求めてしまいがちだが、
それを含めて"言い訳"であると教えてもらった。

一流は凄い。
そして、姿勢だけでも一流でいるのが難しい。

自分は随分と弱くなってしまった。

『起こる全ての事に意味がある』

この経験をチカラに少しずつだが変わっていこう。