2/8、自分にとって親にも等しい存在であった祖父がこの世を去った。

その日から2週間が経った。
中々思い立たず書くことが出来なかったが、心身共に落ち着いてきた今、綴ろうと思う。

それまで熱ひとつ出さず健康そのものな生活を送り続けてきた祖父に異変が出だしたのが昨年11月。

当時は熱が上がっては下がっての繰り返しで風邪に対する免疫が寄る年並みに落ちてきたのかなと思いながらの日々だった。
それが身体が痛いと言い出し、年末には食事も喉を通らない状態まで弱ってしまった。
ただごとじゃない匂いも出てきた中で忘れもしない12/24。
営業移動中に母から癌、リンパ腫かもしれないとのLINE。
33年目のイブがこれほど衝撃を受ける事になるとは夢にも思わなかった。

年末年始もほぼ食事できず寝たきり。
元日、佐世保から上京してきた父を想っての事だろう。
"何とか生きてます"と言いながら、ビールで乾杯。
一口つけただけでかなりむせてそれ以降飲むことはなかった。

思えば祖父はいつもそうだった。
自分より他人。しかも自分への見返りは全く求めていない。
愛しかない人であった。
だからラグビーの仲間であったり、妻や妻の友人誰に対しても出会えたことへの喜びを表に出し、迎えてくれる人であった。

妻にすら"貴方は人に関心がない"と言われる私にとってその祖父の所作はただただ尊敬の念を覚える事だった。

通っていた近場の病院から紹介状を書いてもらい、大病院での精密検査がスタートしたのが1月上旬。
そして、私が仕事の合間に同席し、即入院が決まった1/19。
この日、正式に病名が明かされた。
終末期の悪性リンパ腫。
病院嫌いで断固入院拒否の姿勢で検査結果を聞きに行ったが、入院しなかったら今日死んでもおかしくないと言われ入院が決まった。
そこで親族にのみ明かされた余命2週間。
どんなに堪えても溢れ出る涙を抑えることができなかった。

そこから顔色が戻っていき、3-4日入院の後の週末退院を目指していた矢先、胃に穴が開いたとの報。
これもリンパ腫の悪さだったらしく、更に一週間の入院延長。
しかし、これは余程の痛みだったのか祖父も入院延長に納得。
それからの入院の日々は本人にとってとても長いものであったと思う。
また、気遣い屋で病院慣れもしていない祖父は看護師を呼び出す事も気が引けていたようで、相当我慢もしていた様である。
思えば、入院した日の採尿を手伝っていた時も、自分の手違いで泡が出過ぎて汚れた洗面台を綺麗に洗ってからトイレを出た。
今日死んでもおかしくないという体調の人がである。
この人はどこまでもこういう人なんだなぁと不謹慎ながら笑ってしまった。

胃に穴が開きながらも緩和処置を行い、2/1に目標であった退院、自宅療養を達成。
本当に頑張って成果を出した。凄いという一言に尽きる。

そして、2/3。もう一つの目標であったひ孫、つまり私の長女、長男との再会。
特に心底可愛がっていた長女との再会は本当に嬉しかった様で、目を大きく開き手を握り笑顔を振る舞っていた。
元気な姿を見て、これは祖父が見たいと言っていた長女の幼稚園制服姿(4月入園で、3月に制服届く予定)を見る事も叶うのではないか?
それ位長女と会った後の祖父は顔色も声も回復基調であった。

しかし、終末期というものはそう甘くはなかった。
2/5金曜から急激に弱りだし、ほぼ寝るケースばかりになった。
最後の週末となるかもしれない予感もあり、土曜に家族で祖父母の家に宿泊する事に。
土曜昼間まではほぼ寝たきり。
そんな祖父が長女の姿を見せた瞬間に再び目を開き笑顔を振る舞った。
明確に意識を持って対話したのはこれが最期であった。

夜が明けても眠りから目を覚ます事はなく、無呼吸の時間も増えていった。
そして、2/8 9:43、祖母に看取られて息を引き取った。87歳。
おそらく最期まで生きることを止めず戦い続けた祖父の人生が終わりを迎えた。

私の中では宿泊を終えた2/7がもう祖父と生きて会えないだろう、或いは生きていても会話する事は叶わないと覚悟した日だったのだろう。
そして、それは妻も同じで2人で今迄無かったほど大泣きした。
淋しい。ただただその気持ちであった。

2/11建国記念日に葬儀、告別の儀を行った。

今もまだ祖父がいないという実感が湧かないのが正直なところ。
祖父母の家に行けばいつもの様に2階から降りてくる姿がまだ目に浮かぶ。

しかし前を向いて生きていかねばならない。
まだ傷心の祖母を支えて生きていかねば祖父は安心して成仏出来ないだろう。
遺された者の戦いというものを、私は今人生で初めて経験している。

きっと次は長女の入園式でまた祖父の顔が思い浮かぶ事と思う。
この景色を見せたかったなと。

それでも、今は祖父の無念よりも戦い続けた日々をただ称えたい。
そして、そんな強く優しい祖父に長い年月共に過ごし育ててもらった事に感謝したい。

これからこういう別れが幾度となく訪れる事だろう。

それでもその人との出会い、過ごした日々を噛み締めながら生きる事が弔いとなり、自分を更に昇華させるきっかけになると思う。
だから前を向いて毎日をまた生きていく。

最後に祖父が体調悪化する前まで書いていた日記の最期の綴りを。


本当に不器用だけどカッコいい人だと心の底から思う。

そんな祖父を心の中でいつもそばにいてくれると思いながらこれからの日々を歩んでいく。