偲びて記す | 僕のち天、ときどき みゅー。

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「僕」と息子の「天」(てん)、そしてときどき妻の「みゅー」。
さらに、その周辺のゆかいな人々のブログ。
次男坊の「地」(ちぃ)も加わって、はてさてこれからどうなることやら。

今日は月がキレイだなぁ。

眺めていると、なにやら癒される思いです。


先週は忙しかった…。

っていうか、疲れました。


5日、早朝。

僕の…、何て言うんだろ?

一般的には「師匠」とでも言えばいいんだろうか、

普段は先生とお呼びしておりますが、

その師匠が亡くなりました。

4日に、末期のガンで入院しているという話を

聞いたばかりだったので、

まさか次の日に亡くなるとは思いもせず、

ホントに残念でなりませんでした。


師匠とは、年に3回(3日)ほど会うのみで、

それ以外、ほとんど関わる事がなかったのですが、

厳しい目の中にも、

僕を育てようと願ってくださっていたであろうことが、

今回の事でよく分かりました。


詳細は割愛しますが、

6~9日まで、新潟に帰省してました。

次男の地(ちぃ)が産まれたばかりなので、

家族のことは、お手伝いに来てくださっている、

「チョビばあ」(みゅーの母) にお任せして、

僕1人での帰省です。

1人で帰るの、結婚してから初めてだ。


6日、夜明け前に車で岡山出発。

道中、トイレ休憩のみ取りながら先を急ぎました。

今回の目的は師匠の葬儀。

浮かれ気分にはなれません。

もちろん富山の呉羽PAで、

なめらかシュークリームなど食べたりしてません。

水出しコーヒー(自販機)など以てのほかです。

急いだので、昼前には実家(上越)に着きました。

この日は別の用事を済ませ、実家で泊。


7日、午前中に新潟市内へ向け出発、

夕方には師匠の終祭(お通夜)が仕えられました。


翌、8日。

午前中に告別式(葬儀)が仕えられ、

悲しみの声が様々聞かれました。


お参りの人数はとても多かったです。

200人は超えていたと聞きました。

葬儀で知ったのですが、

仕事での役職もさることながら、

地域でも様々なお役に当たられていたそうです。

そんな師匠の葬儀に行けて、

最期のお顔を拝することが出来たのは、

本当に有り難いことだと思います。

チョビばあが来てくださっていなければ、

妻子を置いては出られなかった。

仕事も都合がついて、お休みを頂けた。

本当に、師匠が待っていてくださったんじゃないかと、

そう思います。

もちろんチョビばあ にも感謝です。

本当に感謝。


7日、昼過ぎに着いたときには、まだ早く、

ほとんど人がいなかったので、

一人で、棺に眠る師匠に会えました。

お顔を拝した瞬間、それまで「悲しい」という感情は

ほとんど感じていなかったのに、

身体が震え、自分でもビックリするくらい涙が流れました。


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先生(師匠)、僕は今、あえて感謝やお悔やみの言葉は申しません。

ただ、これからは先生のあの厳しい眼差しを背負って生きていきます。

先生への恩返しは、僕の生き方をもってお返ししたいと、

そう思います。

今はまだまだ足りない僕ですが、

いつか、必ず。