前回の記事で、今回は『新直接民主主義』というタイトルで書くことになっていたけど、今、経過ごとに書いていくか、構想を完成させてパーッケージとしてまとめてから書くか決めかねている。


ただ、実用に耐えるところまで詳細に作り上げる作業なので、完成させるにはまだ時間がかかってしまう。でも、私は政治学者でもないし、政治の世界に携わったこともないので、現実には、実用的な部分まで詳細に作り上げることは不可能であることはわかりきっている。


「構想を完成させて」と冒頭に書いたのには理由がある。理念に従い、実用的な部分まで詳細に詰めていって、最後の最後で、構想自体が非現実的で、理念だけが暴走してしまったものであることが判明する可能性があるからである。


しかし、「考えたこと日記」としては、やはり、たとえ最終的に非現実的なものであろうと、経過ごとに書いていくべきだと思った。しかし、文学の世界や人の感情は例外として、私は論理の通らないことを真実であるかのように表現することを嫌うので、やはり迷うところである。


しかし、論理的思考をとる限り、迷うということはあり得ず、必ずひとつの答えが出るものである。実は、このポイントが「新直接民主主義」の理念の根幹でもある。迷うというのは、人の感情によるものであって、答えが出ているのに、その答えに何かしら不満があるから迷うのだ。


なぜ私が迷ったか、私の不満がどこにあるかをよく見つめてみると、構想が非現実的なものであるという結論が出た場合、論理の通らないことを考えていたことになるのが不満であった。


それに対して、論理的思考による答えは、「考えたこと日記」として書いているのだから、結論の論理性は関係ないということである。論理的でない結論が出たとしても、それは、論理的に考え進めていった結果、非現実的であるという答えが出たのなら、それは論理的なプロセスで導き出された答えである。


という具合に、私の不満を含んだ感情による答えは、論理的思考にめでたく却下され、ただひとつしか存在しない答えにたどり着いたのであった。子供が母親に「嫌だってだだをこねても、しかたないでしょ!」と言われるのと同じこと。


このように、論理的プロセスをとれば、たとえ色々な感情や主張があったとしても、必ずひとつの答えに行き着くのである。


前置きが長くなったので、次回から本題に入っていく。次回の方がはるかに長いwどう見てもブログ的じゃないなw



ここから先、落書き。


前回の調整局面を民主党は「バブル崩壊した」とか言ってたけど、昨日日経終値14000円超えた。上げ足取ることばっかりで、根拠が何もない。国民を惑わしてるだけ。しかし、チャイナショック警戒で、今後の動きは不透明。また上げ足とられるのかな。


「期待だけで実体が何もない」という言葉を当たり前のように聞くけど、実体はある。為替レートが変わった。為替レートが是正されて、追い風になったと言うけれど、実際はそうではない。今まで猛烈な向かい風だったのであって、今は風が緩やかになったのだ。詳しくは、『円高バブル』のところに書いた。(”円高バブル”とは、私が作った言葉。)