映画を観ていて、人が空想で創った架空の世界なのに、現実と混同してしまう、もしくは現実にもありえなくはないと思うことは多々ある。そして、現実の人の人生に目を向けてみると、映画で起こっていることと同じことが起きていたりする。今は空想の世界であっても、将来現実になるということも多々ある。


 不思議だと思い、つい考えてみる。映画を作っているのは人。人は何に感動するのだろう。現実には絶対ありえないことには感動しないのではないか。かと言って、超現実的な、平凡な日常事では、何の感動もないだろう。人が最も感動するのは、現実には絶対ありえなさそうな現実ではないか。それを奇跡が起こると言う。それが幸せな結果であれ、不幸な結果であれ。現実に起こらないことは空想と呼び、現実に起こることを奇跡と呼ぶのだ。


 奇跡なのか運命だったのか。奇跡とはありえないと思われることが起こることだ。しかし、その奇跡が起こってから、過去を振り返ってみると、あの時ああいうことが起こらなければ、こんな結果にはならなかっただろうなあと思う。奇跡的な結果でも、過去を振り返ってみると、自分の行動や考えからこそ起こったものだということが分かる。その奇跡を呼んだのは、運命なのか。自分が呼んだのではないか。


 人それぞれ、いろんな人生をたどる。それを、それぞれの運命と言う。奇跡という名の運命を自分が呼ぶのなら、運命は自分の行動で切り開いていくことができる。逆に、自分の行動で運命というものが決まる。自分がとる行動は自分が決めている。だから、運命は自分が決めているのだ。


 だから、運命を変えたいなら自分を変えないといけない。自分が望まない自分なら、自分が望まない運命が待っているはずだ。


 自分とは何か。それは、自分の心だ。人を愛する気持ちが強いとか、平和を望んでいるとか、協調性があるとか、人との争いが好きだとか、暴力的だとか。そんな自分が行動を起こし、人生を築き、運命を形作るのだ。一言で言うと、それが自分の性格だ。


 生まれる環境は初めから決められている。しかし、将来は変えられる。


 しかし、高望みとは違う。それは、今の自分では得られないものを求めることだ。自分を成長させれば、運命も好転する。自分を成長させるかどうかも自分が決める。