今日の発見。経済のしくみ。僕は理系の人間で学生の頃に最も苦手な教科は社会科だった。でも社会人になればそうは言っていられない。この経済社会の中でお金を稼いで生活をしていかなければいけない。今までなんとなくしか理解していなかった経済用語はたくさんある。デフレとかインフレとか円高とかGDPとか需要と供給とかギリシャの財政破綻とか。どの言葉が不況を表すかくらいはわかっている。不況になるとお金に困るということは分かるが、なぜ不況になるのか。
しかし、今日、たかじんの出演するあるテレビ番組を見ていて、かなり経済のことが分かった気がする。それでも疑問が残り、気が済まなかったので、自分で色々調べてしまった。その結果、満足する情報が得られ、それらの情報から自分なりの結論を導き出した。
テレビ番組の結論は、日銀がお札をたくさん刷ればデフレから脱却できるというものだった。この結論で出演者みんなは、そうだそうだとまるく収まった。でも僕にはまったく理解できない。日銀がお札を刷るとはどういうことなのか。お札は日本銀行券という名前で日銀から発行されているものであることは知っている。でも、そうやって刷ったお金をどうやって世の中の人に配るのか分からなかった。というか、配っちゃっていいのかと思った。もちろん自由にはいどうぞと渡すわけではないだろう。
しかし、色々調べてみた結果、あの番組で言っていたことが理解できたのである。日銀では、現在の法律上、いくらでも自由にお札を作って発行することができる。じゃあ、日銀はいくらでも大金持ちになれるということにはならない。この発行されたお金は、日銀の借金になるのだ。そして、そのお金を世の中に配る方法は、一言で言えば、財政政策によるマネーサプライを増やすことという難しい言葉で表現できるが、例えば、公共事業とか子育て支援とかのばらまき政策などである。こういった方法で日銀から世の中にお金が渡される。その結果、世の中の経済はめでたく潤うというわけである。
だがしかし、まだ疑問は残る。日銀の借金はどうなるのか。調べた結果、これについても解決した。実は、国のお金には2種類あったのだ。ひとつはおなじみの日本銀行券。もうひとつは、これとは全く別の政府紙幣(貨幣)だ。実は、日本の世の中に流通している100円などの貨幣は全て政府貨幣である。そして政府紙幣も法律上、作ることはできるが作っていないだけである。政府貨幣は政府の資金で作っていて、例えば100円玉は100円として通用する。製作コストを引いた金額が政府の利益になる。日銀のお札と違って、政府貨幣は借金扱いになるどころか利益になる。
つまり、政府が政府貨幣で、日銀で作ったお札を買えば、政府はお札を得られ、それを世の中にばらまくことができ、おまけに政府も政府貨幣を日銀に売った分だけ利益を得ることになる。これでまためでたく経済が潤うという結果になった。
しかし、僕にはまだ疑問が残る。あの番組の中で、日銀が増札すれば日銀の信用が落ちると日銀トップは言っているので増札を勧めても聞き入れてくれないということだった。出演者は、日銀の信用って何だと言っていた。日銀は自分たちの信用を守るためにお札を作らないのだと。結局保身のことしか考えていないという結論で番組は終わった。
でも、僕には日銀の信用という言葉をいまいち理解できなかった。それにもうひとつ疑問がある。政府が作ればお金っていくらでも増えるのか。それでいいのか。何か腑に落ちない。調べても分からなかったので、自分で考えてみた。
お金というものが存在しない時代では、自給自足や物々交換だったはずだ。それが基本と考えれば、お金は物々交換の代わりとなるものだ。俗に言う日本銀行券は兌換券ということだ。つまりお金は物と交換する価値のあるものである。そのお金がいくらでも自由に作れる紙切れであってはならないと思う。お金が単なる紙切れに成り下がってしまえば、日銀のお札は価値の無いものになってしまう。これが日銀の信用と言われているものなのだろうか。
しかし、政府貨幣はただの紙切れではなく、政府が資金を費やして作ったものである。その貨幣に付けられる価値は、何かによって決められる。
ここで物々交換の時代に戻って考えてみる。りんごとみかんを交換するのに何個で交換するのかを考えるのは当人同士だ。りんごがどうしても欲しいと思えば、たくさんのみかんを渡すだろう。つまり、価値というのは人の気持ちで決まるのだ。この原理がお金にも当てはまるのだ。お金の価値は世の中の人みんなが決めている。経済は生き物であると言う人がいるが、その理由が理解できた。
だから、貨幣の価値も世間によって決められ、その価値が高いほど、政府は貨幣を作って世の中にお金をばらまき、また利益も得る。そして、日本経済も潤う。
しかし、ここでまた何か納得がいかない。ここまでの結論だと、いくらでもお金を増やすことができて、人々はあまり働かなくても裕福な生活ができることになる。じゃあハッピーエンドだということにはならないと思う。裕福な生活は長続きしないだろう。なぜか。あまり働かないということは、いい物、いいサービスを提供する人がいなくなるということである。だから、そうならないために、ある程度経済がうまく回り始めるまで造幣をするというのがいいのではないかと思う。
まだ気になることがある。ここまでは国内だけの目線で考えてきたが、世界の中の日本という立場ではこの対処方法は、日本にどのような影響を与えるのだろう。円高円安という言葉が気になる。先にも書いたお金の価値に影響を与える気がする。でも、今日はもう疲れたのでここまでにしたい。
今の時点で思うのは、人々が働いて供給しているものと、それに対する報酬に釣り合いがとれていないのではないかということ。不況という現象の正体はこれではないかと思う。