思えば、私は今まで「愛がほしい」「誰かに愛してほしい」と思って生きてきた気がする。
だけどそれは違うのだと、愛は他人に求めるものではない、と確信を持って言える。
あるYouTubeの動画で、本物の愛とは何なのか?、そして、大切なことは愛の重さや大きさなどではなく、愛する順番なのだと知った。
まず、本物の愛について。
ざっくりいうと、本物の愛とは「見返りを求めずに与えるものである」ということだ。
つまりは思いやりである。
逆に言えば、見返りを求めてしまうものは愛ではなくエゴであるということ。
そう考えると、今まで愛だと思っていたものが全く違かったことに気づいた。
もう少しかみ砕いて説明すると、その行動の裏にはどんな感情や心理が働いているか?ということである。
もし利益や自分のプライドのために行動したのなら、それは愛ではない。
そして、愛する順番について。
人は愛する対象が沢山ある。
恋人、家族、友人、ペット、自然、、そして自分。
まず自分を愛する。
そして家族。
友人、恋人、ペット
近所に住む人、
、
、
のように続く。
ここまでは私は分かったつもりでいたし、もちろん自分を愛していると思っていた。
でもここでもう一度考えてみる。
本当に私は自分のことを愛していたのだろうか?
自分に対して本当に思いやりを持っていた?
本当に本当に自分に見返りのない愛を与えていただろうか?
そう考えるとミリも自信がないし、むしろ自分を自分のエゴで苦しめていたんじゃないかとまで思う。
過度なダイエットもそうだし(今はないけど)、限界まで頑張ったりするのもそうだと思う。
そして日本人特有の、他人のために、とか、他人に迷惑をかけない精神なんかもそうだと思う。
もちろんその考え方も愛からくるものであると思うし、大事なことだとも思う。
でも、まず自分を愛するという前提の上で成り立つ、ということを忘れてはならない。
自分を愛していないと、他人のためにと思って行動することが、次第に他人を優先しすぎて自分を傷つけることになる。
納得できないのなら考えてほしい。
まず愛している人を思い浮かべて(家族でも友人でも恋人でも)、そしてその人が限界まで頑張っているとする。
あなたはどうするだろうか?
ほとんどの人が止めに入るだろうと思う。休んだほうがいいと声をかけるはずだ。
じゃあ、愛する人が苦しんでいたら?
その苦しみからすくってあげたいと思うはずだ。話を聞いたり、少しでも楽になれるように何かしら行動を起こすと思う。
そして、それを自分自身に当てはめてみる。
自分がつらくなるまでがんばってしまうのも、辛くてもやめられないのも、それは自分を愛するということができていないから。
周りのために、愛する家族のために、頑張るのはほどほどにして、まずは自分を愛するということから始めないといけない、と思う。
そういうわけで、愛には順番が大切だということである。
そして、ここで最初に話した、誰かに愛を求めるのは間違っているという話をしたい。
ここでは、異性間の抱きしめたいとか、そういうのは恋であり独占欲であり性欲であると考えるので、、例えるなら母からの愛とかそういうものの話をしようと思う。
ここまで読めば私の言いたいことがわかるかもしれないが、私が言いたいことは、
「誰かに愛を求めるのではなく自分で自分を愛するのが正解なのではないか?」ということだ。
わたしも、今さっき気づいたばかりだし、まだなんとなく整理がつかない感じがするけど、自分を他人のように愛してみる。そんなことから始めようと思う。