今まで色々と人に嫌な思いを「させないよう」努力してきたつもりが、
結果として余計な心配をかけてきたことについてすごく悶々として、
それが余計に自分の行動に歯止めをかけたり、人に触れることへの
怖さになったりして、それでも人に甘えられない僕は
今現在の自分がなぜこんなになっていて、それはこういう事情によって
説明できるんだ、だからこれが必然なんだ、っていうことを
たとえば精神医学だったり社会学だったり、{舐める程度のくせに}かじったつもりになって
そんなもので事故診断なんかして、実際に医者に行ってない{めんどいとかであるにしても)
のに勝手な判断をして、なんか正当化なのかよくわからんことの建前にしようとしている。
えてして、そういう独りよがりな説明は的を得ないもんなのかな、なんて、例の、僕の鏡のような彼を見て
最近思う。
僕がどうあるかなんて正直誰も興味ないし、そんな建前と説明書をつきつけられてから付きあおうなんて
そんな悠長というかお人好しというかそんなかんじで、わざわざそんなヤツを選んで仲良くする道理なんてどこにもない。
自分のことばがうまく人に伝わっていない事はいろいろな事例から気がついてきたつもりだけど、
それをツモリにしないためには、もっといえば解決するためには、もっともっと他人を見なきゃいけない。
生身の他人と自分を比べなきゃいけない。教科書でもなければ医者の事例でもない、これが一番自分を客観視する唯一の手段のはず。
と、思い立ったところで忘れてはいけないのが、
先週もらった言葉、「自分を許すこと」「グレーゾーンを用意すること」
この2つ、ほぼ数日の間に全く無関係な二人の人物にもらった言葉。
どちらも(全く別の文脈ながら)人の心に携わる勉強をしていたので、
全く当てずっぽに言われたわけではない気がしてならない。
確かに、僕が自信の判断基準を見る限り、許されるか許されないか、やるかやらないか、
やりきるか始めないか、さもなくばなかったことにするか、しか無かったと思う。
これを改める。なんでも中途半端、ってわけじゃないけど、できるだけやる、できなかったことを認める、
自分の限界を知る、それが(その件についての)限界と認める、知らないことははっきり知らないという、
できないことははっきりできないと言う、でもやってみる、そんである程度の経過をそれでよしとする
そんくらいでよし!って自分に対して言えるようにする。
それを繰り返してみたいと思う。
それを繰り返し頭に浮かべてみたいと思う。
毎晩長々、同じことを文字にしてみることによって、それがどんどんと自分を客体化することに
なるとすれば、
もしかしたら今まで僕が曲とか特に歌詞が書けなかったことの解決になるかもしれない。
こんな手段、人に言われても絶対に聞き入れられなかった。
少なくとも去年は。
去年だってそれなりにものすごく自分が世界の一員でないかのような恐怖に苛まれてたけど、
それでもそれが心地よいということから踏み出せなかったのか、何なのか知らないけど、
自分をどうするかは自分できめるさ、なんていう鼻糞みたいな自尊心が今よりずっと元気に存在してた。
このこびりついた、かさぶたのような自尊心を、一枚一枚剥がすことが
人に弱みを見せる痛みを知ると同時にその痛みを共有して癒してもらえる喜びにつながるかもしれない。
自分がアスペ臭いということについてはまだまだ疑いが晴れない。ただ、だからどうするか、
自分自身の(他人に向けたものでなくて、自分がコントロールするための)説明書をアップデートしなきゃ。
それは今年が最後のチャンス。たぶん、学生としてある程度なんでも許される最後のチャンス。
世界は思ったより怖くない。
怖くない。
怖いのはお前が知らない「人」というおばけだけだ。