河井継之助を偲んで① | 何して遊ぼ⁉

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いい年こいて遊ぶ事しか考えていない親父のブログです。

JR上越新幹線の燕三条駅より信濃川を渡りR289を東南に進んで行くと急下田村に出る。

そのまま五十嵐川沿いに進んで行くと景勝『八木ヶ鼻』があるが此処から守門川沿いに右折し進むと嵐渓荘がある。

更に山間地を進んで行くと道路閉鎖用のフェンスが現れるが夏季は解放されているので擦れ違いが難しい谷道をゆっくり進んで行くとアスファルトの道の行き詰まりが吉ヶ平山荘である。

吉ヶ平山荘より守門川を渡り道を進むと其処此処に人の暮らした名残が見受けられる。

馬場跡に出ると道が二股になっていて右が八十里越で左が番屋山・雨生ヶ池(マゴガイケ)への入り口である。

八十里越とは新潟県三条市下田地区から魚沼市北端部を経由して福島県南会津郡只見町に至る街道。

途中に鞍掛峠(標高965m)・木の根峠(標高845m)の二ヶ所の峠がある。

八十里越の由来は、実際は八里(約31㎞)だが急峻かつ長大な厳しさ故に一里が十里にも感じられる事から名づけられたとか(諸説あるらしい)

明治後期まで中越北部と会津南部を結ぶ重要な街道だったが岩越線(磐越西線)が開通すると移動や輸送は鉄道へと移行し衰退していき、新潟側最奥の宿場町、下田村吉ヶ平集落は1970年3月に集団離村した。

約15㎞南西部に所在する魚沼市との間を繋ぐ六十里越は1970年代前半にR252と只見線の開通により通行が容易になったがR289は現在でも県境約20㎞の区間は未開通どころか自動車では通れない。

*2021年4月27日にあと五ヶ年程度での開通との見通しが示された。

因みに八十里越は河井継之助が二度目に長岡城を奪われ会津に逃げ落ちる際に使った街道で、継之助は長岡城を奪還した際、左膝に流れ弾を受けており八十里越を越えた会津只見町で破傷風により死去した。

左側の登山道を進むと雨生ヶ池手前右側に道があるがどん詰まりに祠が祀ってある。

元の登山道を進むと雨生ヶ池があり神秘的な雰囲気を醸し出している。

雨生ヶ池には伝説があり「金物を投げ入れると大雨が降る」と言われている。

この付近にしか生息しないと言われるマゴイルリトンボが見られればラッキー。

池を越えると此処から登坂開始になる。

息を切らせ登りつくと標高933.2mの頂上だ。

…とこんな感じの山を仲間二人を連れて登る事になった。

私が「山に行きたいねえ」とLINEした事から始まり、最初は五頭山でもどうかと思ったのですが「もう少し軽めの山」という事で番屋山に白羽の矢が立ち、PONが「私も行く」と言い出したので我が夫婦と仲間二人の四人のパーティーで登る事となりました。