高校の先生 | ドリームハウス南蘭得 - 秩父とダムと鉄道と。

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守備範囲→→秩父、土木施設(ダム)、鉄道(模型)。
鉄道模型は主に、JR北海道、副都心線系統、横浜市営…。
また、1~2か月に1回程度「秩父紀行」を投稿します(予定)。


はじめに
2018年9月6日に発生した北海道胆振東部地震において、被災された皆様にお見舞い申し上げます。被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
私の父の実家は札幌市清田区というところにあるので、地震があった日は朝から停電が続いたそうです。同じ清田区内では液状化の被害が深刻な地域もありとても心配です。
ちょうど今週末に親戚の集まり兼旅行で札幌や胆振方面に出かける予定なので、その時に様子を見に行けたらと思っています。


さて、地震の影響は現在も続いていますが、混乱は収まりつつあるようですので、今日は2週間ほど前に母校の高校に行った時のお話をします。

2週間前の土曜日、部活の様子を見に(一応これでも元部長なので)母校の高校に久しぶりに行きました。久しぶりというか、卒業して以来初めてだったと思います。校舎に入ると、元高3担当で3年間英語を教わったK先生とちょうど目が合い、すぐに職員室から出てきて「久しぶりだね」と声を掛けていただきました。そして、「みんないるよ」と言って、元高3の先生のうちその時に職員室に居合わせた、A先生、N先生、そして元担任のT先生をわざわざ呼んできてくださいました。在校時は怒鳴ってばかりだったA先生は、今まで見たことがないくらいの笑顔で話を聞いてくれたし、最後にN先生は「また遊びに来いよ」と言ってくれて、帰る場所がある、歓迎してくれる人がいるって、すごく幸せなことだなぁと感じました。

でも一番嬉しかったのは、最初のK先生の対応でした。というのも、(本人に見られる可能性はないと思うので正直に言ってしまいますが)私は初めはK先生のことが嫌いでした。K先生は予習や宿題などの提出物にうるさい先生で、授業中に指名して答えられなかった生徒を授業後に呼び出して、ノートに予習の痕跡があるかチェックするほどでした。英語が苦手で嫌いだった当時の私は、友達と「あいつめんどくさくね」などと言ったりして、批判的な感情ばかり抱いていました。
高3になって受験勉強が本格化すると、さすがに英語も真面目に勉強しなければと思い、K先生信者になって(信者という言葉が適切かはわかりませんが、この場ではあえて信者で。)、勉強方法のアドバイスをもらったり、指名者補習用のプリントを特別にもらって添削していただいたりするようになりました。そのお陰で英語の成績はなんとか改善することができ、模試でも結果を出せるようになりました。高1の頃から素直に先生の言うことに従っていれば、今ここまで苦労することもなかったのかもしれない、と後悔もしました。
そして、改めて久しぶりにお会いして、歓迎ムードで親切に対応していただけると、素敵な先生だったんだと強く感じたし、在学中に裏で批判的なことばかり言っていたのが申し訳なくも思いました。

私は別にK先生との思い出話を語りたいわけではなく、私が言いたいのは、人間関係は一度距離を置くことで初めて気づくこともあるし、むしろ相手の本当の意図は、距離を置かないと気づかないことも多いのではないか、ということです。
先生だって人間ですから、勘違いや誤解で怒ったり、時には自分の機嫌の都合で理不尽な注意の仕方をすることもあると思います。そして、そういったことに巻き込まれた生徒側は、その先生に対して嫌悪感を示すのも当然のことだと思います。でも、そういった一時的なつまらない感情にとらわれ、人間関係を自らの手で破壊するのではなく、幅広い視野で見つめ直すのはとても大切なことだと思います。そもそも子供と関わるのが嫌いな人間が先生になるはずがありません。K先生が提出物などをうるさく言っていたのも、きっとK先生なりの生徒への‘愛’があったからなのかもしれません。

一時的な感情にとらわれがちだからこそ、在学中に気づかなくても、卒業すれば気づくことも多いと思います。私自身も、K先生に限らず先生方の想いにもっと早くから気づいていればよかったと、とても後悔しました。素敵な先生方に囲まれて高校生活を送ることが出来て、とても幸せであったと思います。
我々人間にとっては、後から気づく幸せこそが、本当の幸せなのかもしれませんね。