はろちゅ
あんちゅこと石塚朱莉です
よろしくお願いします
今回は私の1年前の出来事について書かせて頂きます。
私は「東日本大震災」を地元である、千葉で経験しました。
普段どうりに授業が終わり、当時入っていたバスケ部の練習をするために体育館にいました。
トイレに入り先輩と
「あっ!今ちょっと地震がきた!」
といいながら小さな揺れが来ました。
この小さな揺れが「東日本大震災」の始まりでした。
すぐに揺れがおさまるだろうと思っていた私は、トイレを出て準備に取り掛かろうとしていたら…
グラグラグラグラ
初期微動から主要動に変わったのです。
これが2011年3月11日の14時46分に起きた「東北地方太平洋沖地震」の始まりでした。
今まで経験したことのない揺れ方でした。
ふっと見たバスケットゴールは
今までの中で聞いたことのない音を立てて今にも落ちてきそうでした。
校庭へ避難して周りの景色を見ると…
自分のクラスの窓ガラスがわれて、
プールの水はバッシャーンと水を巻き上げて、
屋上にある大きな電気が上から落ちてきて、当たりそうな生徒もいました。
また、非常階段はぐちゃぐちゃに壊れていました。
いつもは怖いし気の強い部活の先輩が泣いていたり、
しっかりしている学級委員の子がパニックになったりしている姿を見て、
私はどうすればいいかわかりませんでした。
そして、家族の安否が気になりました。
学校にいるのか、下校の時間なのか曖昧な時間だったので、
もしかすると下校中に建物の下敷きになっていたらどうしようと、不安になりました。
また、お父さんは大工さんをしているので、お仕事中にいろんな機材とかが身体に刺さったりしていたらどうしようかと心配になりました。
急遽下校することになり、家に帰る途中もビクビクしていました。
自転車通学なので、自転車を押してながら帰りました。
帰り道はなんどもなんども余震がきてその度にビクビクしていました。
足が震えていたのでいつもは20分で帰れる道のりを1時間もかけて帰りました。
ヘルメットをかぶることが原則です。
制服にヘルメットとダサくて嫌でしたか、この時始めてヘルメットがあって良かったと、
心の底から思いました。
家族の顔を見た時は本当にほっとしました。
テレビ画面の端に出ていた死亡者数…
どんどん数が上がっていったて
すごくすごく辛かったことを今でも覚えています。
3月11日が終わってもその辛さはなくなりませんでした。
それから、原子力発電所の爆発からの放射能問題では、外に出るのが危ないからと部活が中止になったり、
学校が午前中だけになったり、
同じCMばっかりやったり、
スーパーとかの食べ物が完売だったり、
外がお昼でも薄暗かったりして…
3.11を境に一瞬で世界が変わったようでした。
それから2年経ちました…
まだ、自分のお家に帰れない方もたくさんいます。
そして今日は
NMB48劇場にて「東日本大震災復興支援特別公演~誰かのためにプロジェクト2013~」をさせて頂きました。
teamBⅡから
「未来の扉」
「オーマイガー!」
そしてNMB48メンバー全員で
「掌が語ること」
を歌わせて頂きました!
直接、被災地に行けなかったけど、
被災地に私たちの笑顔や元気を少しでも多く届けられたかな??
私たちの歌やパフォーマンスが皆さんの心に届いてますように…
これからもAKBグループの一員として支援活動をしていきたいと思っています!!
皆さん、たっくさん笑っていきましょう!
1日でも早い復興をお祈りしています…
石塚朱莉