あまり人のいない時間のバー、コンセルヴァトワール。窓の外は夕焼けに染まるセントラルパーク。支配人は、こちらに背中を向けてテーブルを拭いていた男性を呼びました。「私はヴィクター。こいつは給仕長のジェイコブ、長年のコンビなんです。」少しずんぐりとしたジェイコブは、にっこりと笑いました。とても暖かい感じがするほほえみ。二人が並んだようすは「美女と野獣」に出てくるルミエールとコグスワースのようでした。最終日まで毎日、夕刻に座ったこのお店のカウンターには、バレエコンクールとは別の空気が流れていました。その年のニューヨーク、このあたりで働いていた人々のあいだで「日常の一部」になっていた時間を、旅の記憶としてしきりに思い出すのです。華やかな舞台のことよりもむしろ強く。

身にまとうライン、テクスチャー、カラーはひたすら自分で探した方がいい。あるいは創り出すか。おかねに頼らないで、ひとに任せないで。持っているだけの安堵感もいらない。セキュリティが愛でないのと同じように。着たとたんに自分の一部になる服を。自分と一緒に動き出すアクセサリーを。今日だけの美しさは、またもや生まれたばかりだから。 ということをわたしに教えてくれたひとがいます。

この国際コンクールはワークショップやらミーティングやら、朝から晩までスケジュールが詰まっていて結構きびしい。時差ボケが治らなかったせいもあって、期間中ほとんど寝た覚えがありません。夕刻、生徒を見学不可のクラスに送り出してからしばらくの間、というのが貴重な自由時間。


メイフラワーホテルの1階にコンセルヴァトワールという名の、バーを備えたレストランがあり、そこにひとりで入って一杯だけグラスシャンパンを飲む、というのを二日続けました。三日目、カウンターに座るといつもの支配人が出てきて、黙って赤のグラスワインを私の前にすっと置くのです。「えっでも私は」「いいから、飲んでください。今日はこれですよ。」そういってウインクした彼は、50代くらいか背が高く、ギリシア系の移民だろうと思われる風貌。ひとくち飲んでみました。おいしい。ぴったり好みに合っている、なんで?「おいしい!」「そうでしょう。わかるんですよ。」彼はちょっと得意そうに見えました。