最後の演技(海外サイトより) 1 | タイトル未定・・・

タイトル未定・・・

ささやかな日常の雑記帳

GYMNAST.COM に ワールドカップファイナルの前日12月13日、International news として

冨田洋之選手の引退に関する記事が掲載されていました。

2ページにわたる長文(動画つき)です。

とても丁寧に書かれた記事なので、紹介します。

(私たちとは少し違った視点から見た冨田洋之像かも知れません)


Hiroyuki Tomita to give final performances [page1 ] [page2 ]

(冨田洋之、最後の演技披露)


今週末、大いなる期待と共に開催されるワールドカップファイナル(スペイン、マドリード)は、

多くの世界最高の体操選手にとっては、飛躍点あるいは単なる一つの足がかりにすぎない。

しかし、ひとりの選手にとって、それは輝かしい経歴の終わりとなる。

2005年個人総合世界チャンピオンにして2006年個人総合銀メダリストが、

過去20年間の競技人生へ「“sayonara”さよなら」を告げる前に、二つの演技を披露する。


本年のワールドカップにおいて2種目(平行棒、鉄棒)への出場を果たしているものの、

日本の冨田洋之は「スペシャリスト」として知られているわけではない。

確かに彼は2004年のオリンピックと2006年の世界選手権大会では

平行棒の銀メダルを獲得しているし、また他にも数多くの世界大会やオリンピックにおいて

あん馬、つり輪、平行棒、鉄棒の各種目で決勝にまで勝ち進んでいる。

しかし、この体操選手が過去5年以上にわたって世界のトップのひとりであり続けた所以は、

古き良き時代に遡ればこの競技を特徴づけるものであった部門、

今日過小に、不当に評価され、あまりにも理解されず、ほとんど絶えかけている部門・・・

ALL-AROUND個人総合である。


冨田が初めて世界の場でその存在を印象付けたのは2002年、

種目別の大会である世界選手権においてつり輪で4位に付けたときであった。 (→JGA

翌年、彼は急成長を遂げた日本の新星として現れ、ポール・ハム、楊威に続き個人総合銅メダル

を獲得する。ここで彼は2003年の世界チャンピオンをめぐる白熱した争いを演じた。 (→JGA

この大会で彼は団体総合の決勝において6種目すべてに出場し、

この新しくも力強い日本チームを中国、アメリカに次ぐ銅メダルの獲得に導いた。

この有望なる新人選手は日本の新たな秘密兵器であり、

明らかに2004年のオリンピックは個人総合のメダル獲得への絶好のチャンスであった。


しかしながらアテネでは、冨田は個人でのチャンスに挑む前に、常勝中国の前に

常に銀や銅に甘んじていた日本チームのためにもう一度重要な役割を担うこととなる。

中国の選手たちが団体決勝のプレッシャーの下自ら脱落していく一方、

日本は気付けばアメリカと金をめぐる一騎打ちを演じていた。

ここまで自らのあん馬、つり輪、跳馬、平行棒の各ローテーションを決めてきた冨田は、

決勝での日本の最終種目である鉄棒において、勝敗の行方を握る最終演技者という

避けられない立場に立たされていることに気付く。

これがこのときの演技である


(アテネ団体決勝のときの冨田選手の鉄棒の動画)


彼ら6人の日本選手は、この歴史的瞬間を永遠に心の中で大事に抱き続けるに違ない。

冨田は個人決勝ではゆかの点数が伸びずに6位に終わったものの、

彼とそのチームメイトがアテネという場所をオリンピックチャンピオンになった場所として

心の中に刻みつけるであろうという事実は、決して変わることはないのである。


翌年は冨田にとって個人における栄光のときと言えよう。日本人選手としては実に31年ぶりの

個人総合における世界チャンピオンに輝いた年である。 (→JGA ) 

単なる優勝と言うだけではなく、2位の水鳥寿思に1.3ptsを越す大差をつけての圧勝であった。

(水鳥は、冨田のチームメイトであり、アテネではともに金メダルを獲得した選手である)




(長くなったので、page2 は次の記事にします)


(まだ途中なので、続きはまたそのうちに)