私にとって、冨田洋之選手への心的かかわりには、大き分けて3つの時期があります。
ひとつはアテネから北京までのいろいろあるお気に入りの一つの時期。
今にして思うのは(もう何度も何度も書いてますが)、もっときちんと彼を見ていればよかったということ。
そして、北京以降。
ブログ熱とあいまってヲタ度炸裂。ばかです。
で、大きな変化は「アスリート交差点」後。
あまりの衝撃に裏(アメンバー)に引きこもりかけたほど。
彼の言葉のひとつひとつが息苦しいほどの重さを持って私の心に響きました。
淡々と自分の心と体に問いかけながら、自らの頭の中にある理想の形を求め続けるその姿は、
「求道者」という言葉があまりにも相応しく、さながら哲学者の思索の過程のようでもあり。
私の頭に浮かぶのは、プラトン的イデア論。
(専門ではないので、高校で習った程度の知識ですが)
あらゆるものが理想的、完璧な形をもって存在する世界。この世とは違う理想でできた世界。
(齟齬があるけど、平たくそんな感じで)
本来、抽象概念に対して「究極の(愛)とは」的につきつめるのは好きじゃないんです。抽象概念とはあくまでひとりひとりの抱く感情やらイメージやらの共通項を抽出したものに過ぎず、だから、言葉などど言うものは曖昧で共同幻想のもとに成り立つ単なる意思伝達のための手段にすぎないかも知れなくて・・・でも
彼が追い求める「演技の理想形」というものは、彼の頭の中には確かに存在しているもの。
彼が常に考えて追い求めているのは、美のイデアたる演技の形であり、
おそらく彼にとって、自分の体はあくまでそれを具現化するための道具であり、手段である
にすぎないのだと思えるのです。
彼の引退という決断は、頭の中の理想と自分にできることのギャップを埋められないことを自覚してしまったことによるのだと思えてなりません。
だから、だれにも止められない。
この点を妥協してしまうことは、彼のこれまでの体操人生のあり方自体を曲げてしまうことに他ならないので。
だから、私は一種の諦念感と共に、この事態を受け止めようと思っています。
・・・・頭ではね。
(感情はね、なかなかそんな風にはいかないので)