パソコンを立ち上げるたびに習慣になっていた一連の儀式。
ひとつの名前で検索をかける。
たったひとつのニュースがないことを確かめるため。
今日は恐れていたその二文字を見つけてしまいました。
「引退」
にわかには信じがたく、受け容れがたく・・・
いえ、やっぱりずっとわかっていたことでした。
それだからこそこんな習慣が身についていたのです。
北京後の彼の表情は、そんな予感を感じさせるに十分なものでした。
そうはいっても、大きすぎる衝撃です。
客観的に見ても、彼の演技はまだ十分世界で戦っていけるレベルを維持できているというのに。
でも、彼は言います。
「イメージ通りに体が動かなくなった」(読売)
本人が感じてしまったその時に、彼自身がこのことを選ぶのは、
彼の美学からすれば自然なことなのでしょう。
「できる種目はあるかもしれないが、ずっとオールラウンダーでやってきて、
『納得のいく試合ができるか』と自問自答した時、難しいと感じた」(同上)
スペシャリストとしてやっていくことを選ばなかったのは、いかにも彼らしいとも思えます。
戸惑ったのは、さみしさよりも安堵の気持ちが大きかったからかも知れません。
ひとつには、おかしなことですが、これでもうこれからは彼の引退の一報を恐れることはない
という安堵。
そして自分が彼にこれ以上の重圧を押し付けることはもうしなくていいという安堵。
それから、何よりも彼の気持ちの中にきっと生まれるであろう、安堵を思って・・・
アテネのあの栄光の時から、彼の両の肩に乗った荷物はあまりにも大きかったに違いなく、
期待と重圧を一身に受けて
日本の、ひいては世界の体操界で常にトップであり続け、
無言のその背中で後進を導き、
息つく間もない日々だったに違いありません。
これでやっと休めるね、
体操以外のこと、何か考えられるかな?
あと2つ残った試合、自分の納得のいく演技で終われることを心から祈っています。
長い間、お疲れ様でした。
たくさんの心の震える瞬間を、ありがとうございました。
鹿島選手のときは、一報を聞いた時点ではまだ労わないって思ったけど、
やっぱ引退の決意って、一区切りですね。労いの言葉をかけずにはいられませんでした。
こんな潔い感じで言っちゃったけど、やっぱショックは続いてます。
今日はフィギュア見るの嫌でした。採点競技同士通じるものがあるし・・・
文章って、いったん流れがついちゃうと止められないよね。書きたいことの半分も書けない。(未熟だからだけど)
たとえば、やっぱ北京では吊り輪の落下がなければとか、ルール改正(ほんとは改悪と言いたいね)のこととか、
どれだけ彼の演技に惹かれてたか、畏怖畏敬の念という言葉が何度よぎったか(まさにawesome)、そんなこと。
たったこれだけ書くのに、1時間以上もかかってるし。日付変わっちゃってるよ。
10日に会見があるので、それを聞いたら、また思うことあるかな?
指導者として、これからも彼の姿は見られますよね。
第2の冨田洋之に今から期待です(気が早すぎ)
メディアの露出はあまり期待できなそうかな・・・
でもやっぱさみしい
(以下、エンドレスで・・・)