後悔してること | manaの徒然日記☺

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37歳で結婚、38歳で母になりました。ふたり育児を夢みて妊活したことも。息子には、きょうだいがいなくても仲間や仕事そして自分が育む家族との縁に恵まれた人生を送ってほしいと強くねがってます。

息子を産んだとき、胎盤見せてもらえばよかった〜。


息子はおなかのなかでも順調で、推定体重も4キロ近くて、出産に際しても、


わたしが死なないように!


と願うのみで、息子は当たり前に産まれてくると信じていました。出産時のいろんなリスクは理解していたけれど。


でも、助産師さんたちに、産まれたよ!と言われて、Y字開脚したお股越しにみた息子は、ぐったりしていて、なにより、なかなかった。


赤ちゃんって、外にでてきてじきに、あの、よくある泣き方で手足をくっとちぢめたまんま、一生懸命泣くんだと思っていて。


でも、あきらかに、ぐったりしていました。


先生が、


筋緊張がないな、


といい、次の瞬間には、吸引したり、背中をたたいたり、明らかに、思い描いていた瞬間とは違っていました。

Nの先生を呼んで!となり、ポータブルレントゲンが呼ばれ、吸引の音がつづき、救急カートが近くにひっぱられてきた。


嘘みたいだった。

夫と手を繋いで、ずっと天井をみていた。

先生と助産師さんがまわりを取り囲んでなんにもみえなかったのと、万が一の瞬間が来るのをみる勇気がすぐにはわかなくて。


しばらくしてNの先生が到着し、なんだかんだしてるうちに、ふにゃ〜、って聞こえてきて。


先生いわく、


赤ちゃんは準備オッケーとサインをだして、陣痛がはじまったけど、赤ちゃんが自分で思っていたより短時間で外に出てきちゃったから、肺呼吸しなきゃって思い出すのに、少し時間がかかったみたいだね。


という、なんとも、ほのぼのした説明でしたニコニコ


でも、翌日まで、ふにゃ〜、しか聞いてない。


そんな感じだから、うまれてすぐのカンガルーケアもしてないし、近くに連れてきてもらえたのもずっとあとでした。


胎盤みたいなんて言える状況と気分じゃなかったし、次のときには忘れずに言おうなんて余裕ぶっこいていたし。


私と息子が、9ヶ月間、一心同体でいられた証をみておきたかったな、と、今思ってます。




息子が書いた、わたしの似顔絵。
ちょっと前までは、工作もお絵描きも全く興味がなかったのに、突然目覚めました。
ヘアアクセも書いてあって、

お母さんといえば、これだからねおねがい

だって。
正真正銘の不器量なわたしを、本気で、かわいい♥と言ってくれるのは、今の息子だけだろうな。
数年後はなんと言われてることやら、、、。