37歳9ヶ月で結婚したわたしは、妊活に苦戦すると思っていました。
だから、すぐにクリニックに通い始め、思いがけず、結婚3ヶ月で妊娠し、入籍からちょうど11ヶ月で出産し、母になりました。
わたしは、そこで油断したんだよな〜。
二人目も頑張ればなんとかなるんじゃないか、って。
結婚して妊活のために、と、当時12年間勤めていた組織を翌春に退職し、パートになっていたわたしは、産前産後無給でした。
それまで12年、雇用保険を払っていたのに、、![]()
貯金が減るストレスに耐えられなかったわたしは、二人目妊娠出産のときは社保の恩恵を最大限受けたかったんです。
だから、パート先で正社員になり、一年後、満を持して妊活開始。
その時点で40歳。
今思えば、妊娠を目指した体作りもなにもあったもんじゃないし。
医療機関選びも、クリニックと総合病院ひとつずつしかないなか、仕事でかわりをみつけにくい職業柄を考慮して平日夕方もいけるクリニックにしたけど、がたがた低めの基礎体温でも8ヶ月無治療タイミングをつづけたことに後悔しかない。1人産んでるから、まずはタイミングと言われ、8ヶ月目にしびれをきらしてわたしがステップアップをいうまでなんにも言ってくれなかったことに恨みがある。
高度不妊治療にステップアップしても、マニュアル通りにしかしないことにもがっかり。
職場に嫌がられても総合病院にしとけば、願いは叶ったのかなぁ。
わたしは、じぶんは一人目出産後の排卵障害だと思ってました。
でも、不妊治療2年半してみて、最近思うこと。
もしかして、息子を妊娠したあの時期。
あの時期が、わたしの妊娠力のリミットだったのかも、、と。
出産後の排卵障害なんかじゃなくて、あれが最後のチャンスだったのかも、と。
もし、あのとき、疲れているからとタイミングとらなかったら、息子を妊娠することはなかったし、あの時期を境に妊娠力が右肩下がりだったんだとしたら、、、なにをしても間に合わなかったんだとしたら、、、そう思うと、二人目なんて望んでる場合じゃなかったんだと思うんです。
ヒューナーテストで、精子がいないと言われて、絶望したのに、そのときのタイミングで息子は産まれた。
感謝しないといけない。
こどもがいる生活をしたいとあんなに望んで、それが叶っていることにも。
二年半も無事に二人目妊活をできたことにも。
お母さんだいすき、と言ってくれる息子にも。
わたしのなかにあるひとりっ子コンプレックスはまだ解消してないけど、自分のなかで少しずつ消化していきたいです。
当初、なんにも考えずに、男女両方育てたい、と思ってました。でも、うまくいかないなか、息子にきょうだいを!の思いが強くなり性別には拘らなくなりました。
でも、、、わたしは流されるので、
おんなのこいないとさびしいよ。
おんなのこいないと、将来面倒みてもらえないよ。
おんなのこいないと、大きくなって、みかたいないよ。
おんなのこいないと、息子は嫁の実家ばかりだよ。
こんな言葉に囚われて、ひとりっ子コンプレックスはますます泥沼深くまで潜ってどす黒くなっていた気がする。
わたしは、自分のポリシーを忘れかけていた。
息子の人生は息子のもの。
小さい頃はたくさんたくさん愛情をそそぎ、安心して外に出ていけるようサポートし、高校卒業したら、パーンと背中を押して送り出す。
お互いに自立し、依存しない。
うらやましがりの嫉妬しがちなわたしが、気をつけたいと思ってること。
うちは娘はいないけど、たぶん、娘に対してもおなじことを思っていたと思う。
大人になってもこども家族と近くに住んで行き来できたら楽しいだろうけどね。
それは、絶対きっと楽しいし、なにより、心強いに違いないけど。
でも、わたしは、こどもには、
優しさや我慢強さをしる、社会のルールや法律を守ることの大切さをしる、自分が信じた人や自分を信じてくれた人を信じ抜く強さをもつ、経済的に自立した大人になってほしいな。
そして、そのときに、好きな人と家族になっていたらいいな。
と思ってます。
こどもが、その人生や命を慈しみ、大切に生きるなら、居住地に制限をつけるなんて、私にはできない。
まあ、県内に住んでくれたら、心強いけど![]()
子離れにむけて、テニス始めました!
運動苦手だけど、めっちゃ楽しいです。
こうやって、母である自分以外の、集中できる時間を大事にしたい。
間違っても、
何人産んでも娘がいないなら、一人娘のほうがかち!
とかわけわからんこという人間になってほしくないと思います!
実際に言われました。
頭わるい発言ですね。所有物なのかしら?