平戸の中心地を離れ、生月島へ。
日本人あるあるな、宗教チャランポランな
私が、何故この地に、かくも惹かれるのか。
発端は、ベタですが、遠藤周作の「沈黙」。
「サイレンス」という映画にもなりました。
キリスト教のことなど、分からないのに
14歳の時、初めてこの本を読んだ時の
「何なのだ、これは‼︎‼︎ 」という衝撃。
子供だった私が、人間とは一体何者なのか、
考えるようになった、忘れられない小説。
それから、遠藤周作の本は、ユーモア小説
まで片っ端から読み、キリシタン関係の
本も、見つけては、読み漁りました。
そのうちに、実際に、かの地に行きたい
土地に住む方から、直にお話を聞きたい
命を捨ててまで、心を守ろうとした人々が
苦しい人生の最後に見た光景を知りたい
本の中にあった、祈りや “おらしょ" は
どんな節で唱えられていたのか、聞きたい
そう、強く思うようになり、何十年余。
「やっと......来ましたな」
短編「ガリラヤの春」中で、作家自身が
念願の地を訪れた気持ちを、記した言葉。
生月は、作中の宣教師ロドリゴが潜伏先から
舟で辿り着いた後に、身内とも言える者に
裏切られ、切支丹達と共に捕えらえた地。
殉教したガスパル西や、その息子にゆかりの
「カトリック山田教会」を訪ねました。
今も信者が集う、清々しい佇まいの教会。
それなのに、私にとっては、何かが違う。
温かく、優しい雰囲気を、感じるのに。
その漠然とした思いに、答が得られたのは
翌日、外海(そとめ)を訪ねた折でした。
教会から、生月大橋のたもとにある博物館に
向かいました。
ここ生月では、隠れキリシタンは昔の伝説で
なく、今も変わらずに伝承され、続けられて
いる心の拠り所なのだと、知りました。
崇敬の地・中江ノ島を海の彼方に仰ぎつつ
宿泊地・九十九島へと向かいます...

