臨床実習で不合格になってしまい、留年した経験のある私は、
その時から、働き始めたらいっぱい勉強しようと思っていました。
いっぱい勉強して、見返してやろうっ!
そんな気持ちが強かったのだと思います。
しかし、精神科で働いてみて、わかった事は、
「ただ勉強すればうまくいく。」
そんな単純な理論が通用しない世界なんだという事です。
残念ながら精神科の世界は、勉強すればするだけ、明らかな変化が、誰にでもわかるような形で起こる。
そんな世界ではないなと思います。
めちゃめちゃ勉強しているスーパーセラピストが、
今まで難病で困っていた人をあっといい間に治しちゃう!
みたいな、そんなおとぎ話みたいな事って精神科ではあまりありません。
もっともっと地道にコツコツやったり、
現象は変わらないけど表現の仕方を変えて新たな価値観を築いたり、
勉強して得られるものはもっともっと地味なものだなと思います。
だからこそ、勉強するなら、勉強しているからこそ、私はこれができますっ!と結果を作っていく事が大切だと私は思っています。
勉強しているからこそ勉強していないセラピストとは自分は違う結果が作れるのだ!
というその違いを明らかにする。そういう意識がとても大切な事だと思っています。
そして、その違いというのは、患者さんとセラピスト間だけで成立するものではいけません。
自分と患者さんだけがわかっているような結果でも、そういうものは他の人は誰も認めてくれません。(残念ながら・・・)
もしかすると精神科において勉強する事は義務ではないのかもしれません。
だからこそ自分が努力して勉強する事で、いかに、勉強していない人との違いを作れるか!そしてその違いを明らかにできるか。
その事が大切なのだと考えています。
私がいつもアウプットを大切にしているのはそういう訳です。
そしてさらにいえば
またちょっと別の角度からの話になりますが、
精神科って
全然勉強してなくて、知識や経験がなくても、行動力さえあれば成功できる!
そんな世界なのかもしれません。
私はそういう成功者の事例もたくさん目にした事があります。
べてるの家など、精神科の世界での著名な成功例は、
(べてるの家の人たちが自分たちを成功例と思っているかどうかはわかりませんが・・・)
たくさんの勉強をしたからというより、なんといってもそのべてるの家の中心人物でもある向谷地先生の行動力にあるように、私は思います。
向谷地先生が勉強してないとかそういう事をいいたいのではありません。
ただ、私はべてるの家の事例を読んで、
そこからお勉強をしたからこそ得られた理論的な成功例というより、
当事者の人と一緒にもがくその行動力があったからこそ得られた成功例として、
読みました。
勉強よりも、行動。
知識よりも、実践。
そんな事を思う事もあるけど、
知識があるからこそ、「あんな事をやってみたいという!」っていうような新たな発想が浮かんできて、
行動に結びつくっていう事もあります。
まあそんな事をいろいろと考えて、
支援者としての本当の実力ってなんだろう?って事を考えられるのも精神科の面白い所です。